自らの意思ではない絶縁 旭姫の墓 瑞龍寺

まずサッカーの件、よかったです。ラグビーは負けちゃいましたが・・・

何よりヤマハのJ1残留が決定ということで。

負ければ降格という薄氷の状況、これまでのジュビロ「らしからぬ」攻めで余裕の勝利がありました。

特に2点目のフリーキックがズバリでしたね。

遠州の空っ風吹きまくりの中、相手チームは意表をつかれたでしょう。酷く寒い一日でしたから。

この危機的状況の脱出という経験をバネにして来期はもっと上を狙って欲しいものです。今回の件、大事に生かしたいところ。

 

夫婦の危機的状況というものは大抵は「次節跳躍の原点」とはならずに婚姻関係の継続を断つことになるようです。

私は離婚経験がありませんので当事者間のその結論に至るまでの心の動揺についてはわかりません(まぁ推測はできます)が、それを実践した方たちの存在はありますね。

有名人、芸人の「付いた離れた」の件はただのバカっ話、ままごと遊び程度で「勝手にやってくんな」のどうでもいいレベルですがこと檀家さんや親しい者の件になりますと私は意気消沈しその後その件には触れないように「つい」話を逸らす傾向になってしまいます。

死という現象による「別れ」というものには勿論、辛いものがありますが、その生きたまま絶縁することは一種独特、他者が触れてはならぬ何かが潜んでいるような気がするからです。

それを機に何がしの新しいステップに進むことは確かですが。

 

人間という生き物は「失敗」の塊のようなもので、私も日々各々繰り返し、時として痛い思いをしている身ですがそれらを経験として学び次はうまいことやろうなどと前向きに考えるものです。おそらくその「絶縁」というものも皆さん私の経験している痛みと同じでしょう。

前向きに、次は頑張ろう、次こそ良縁を・・・でしょうか。

ということで結論の出し方、不毛の関係はさっさと断つという超前向きな心意気がそれでした。

 

私の如く、古い慣習にのっとったお頭にはどうしてもその結論は出しようもないところで、現代のその「お気軽」風潮には驚かされているところです。

しかしいまだ「性格の不一致」とかの弁明があると、「そんなことは最初からわかっている筈じゃあねぇのか・・・」などと訝しがる私があったりしますね。

 

さて、駿府安倍街道井宮や材木町付近から賎機山方向を見ると山の斜面に墓場があるのがわかります④。

こちらには瑞龍寺という寺があって(場所はこちら)、その斜面には旭姫(朝日とも)の石塔があります。

 

兄の秀吉によって無理やり離縁させられて家康に嫁がされた旭姫ですが露骨な政略結婚というか人質ですね。

40過ぎて子供を産むことも想定できない妹をただそれだけのために離縁させて敵対していた(小牧・長久手戦)相手の嫁として和議の材料とするその発想は如何にも貧弱かつ意表をつきました。しかし、以降家康との関係が改善し安泰の大坂を導き出したことからすれば案外ベストチョイスだったのかも知れません。

 

まぁその受け入れ承諾に関しては家康の力量も大きいものがあったのでしょうね。

旭姫四十三歳の婚姻、駿府(駿河御前)に居て母親の大政所の見舞いやらの往復で疲れたか病をえて天正十八年1590の冬、婚姻後4年余りで亡くなっています。

兄の出世街道に翻弄された人生でした。

秀吉も小田原北条攻めの途中に墓参りに来ているといいます。

 

墓塔に関しては・・・後世相当手を入れた感。

オリジナルを見てみたいものです。