最低の評価 表現「聞く耳なし」山科志賀直哉旧居

先日のニュースで「宮内庁には散々言ってきたが『聞く耳を持たない』」といった皇室からの苦言を聞きました。

大嘗祭への大層な国費の支出に関してです。

 

この「聞く耳」の件、私ども坊さん世界でいえばもしその形容をされたとしたら僧職としての「不適格」と「相当のマヌケ」を意味しますので、できればそういった他者からの評価は受けまいと何はともあれ「耳」だけは傾けるよう心がけるところです。

私もその傾向は「ない」といえばウソになりますが。

家庭内であっても奥方のお達しについて「聞いてなかった」では済みませんし。

 

まぁ坊さんに限らず、どちらの方であっても、その件指摘されることはやはりマズイ。

ことにそれがお役人さまであったら尚更でしょう。

まぁ「そんなものだろう」というのが第一印象でしたが、そもそもその「耳」を持ち合わせていないというスタンスとは如何なるものか・・・といえば「傲慢、鼻高々、やってやってる、オレのおかげ・・・」。だから「マヌケ」と揶揄されてしまうのですね。

そけがわからないから役人、政治屋なのでしょうが、それを知っての上でしたら、明治維新と同様、「皇室の利用」ですね。

日産自動車は「攘夷」に成功したようですが皇室は政権の傀儡ではありませんからね。私は勿論「象徴」と教わりました。

 

昨日は当流の「安心」(あんじん)について記しましたが本日はやはり御文から五帖-18「当流聖人」を。

こちらは短いので全文を転記。私も時に拝読しています。

 

「当流聖人のすすめまします安心といふは、なにのやうもなく、まづわが身のあさましき罪のふかきことをばうちすてて、もろもろの雑行雑修のこころをさしおきて、一心に阿弥陀如来後生たすけたまへと、一念にふかくたのみたてまつらんものをば、たとへば十人は十人百人は百人ながら、みなもらさずたすけたまふべし。これさらに疑ふべからざるものなり。

かやうによくこころえたる人を信心の行者といふなり。

さてこのうへには、なほわが身の後生のたすからんことのうれしさをおもひいださんときは、ねてもさめても南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏ととなふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ」

 

わが身の「あさましき罪のふかきこと」「もろもろの雑行雑修のこころ」について知っていなくては始まらないということですが、知るということに欠かせないのが「聞く」ことなのでした。

 

大抵の何かの「問題」というものはその「耳」から入るひとつひとつのヒントを無碍にした積み重ねによるもので最悪は破綻するものなのですが。

ただし「耳なれ雀」もイケませんね。

 

ということで「安心」は「聞法」、聞くことによってそこに立つことができるのでした。勿論「そこ」とは阿弥陀の招く「浄土」ですね。またそれを「信心」ともいいますね。

 

画像は山科、旧志賀直哉邸跡の碑。彼がこちらに居た頃は田圃しかなかったような場所だったかと。きっと屋敷の向こうには山科本願寺の土塁と木々の様子が見えていたと思います。

 

『志賀直哉旧居跡 山科川の小さい流れについて来ると、月は高く、寒い風が刈田を渡って吹いた。山科の記憶 志賀直哉は、大正十二年十月から同十四年四月までの約二年当地に居住、こゝでの体験をもとに、「山科の記憶」「痴情」「瑣事」「晩秋」など、一連の作品が生まれた。 細い土橋、硝子戸、池庭のある一軒家で、その清澄な文学のように、美しい山科の自然に囲まれた静かな住まいであった。』

 

やはり疎水流域と同様、桜の時期は見物となる場所ですね(場所はこちら)。

最後の画像が御文5-18。