「下乗」と言えば早雲寺の助兵衛を 山科極楽橋

昨晩のNHKスペシャル「人生100年時代を生きる 第1回 終の住処はどこに」は介護保険制度の欠陥を露呈させていました。

「サ高住」(サービス付き高齢者向け住宅)についての問題ですが、介護給付金目当て(施設側としてはそうせざるを得ない経営状況)につき、要介護度(番組では4以上)が高くないと「おいしくない」ということで、介護度の低い入室者は退去を要求される場合があることを知りました。「(うちは)ボランティアじゃあない」とい施設側のセリフは御尤もでしたが・・・

 

また「リハビリなんてとんでもない」という風潮が流れていて気分が悪くなります。

要は元気になって介護度が軽くなれば施設の報酬がダウンしてしまうということです。介護度が上がって寝たきり、そしてずっと長生きしてくれれば「儲かる」というシステムに乗っかったといところ。

結局、国、税金が使われているのですがね。

この件、人の本来の意思(健康の維持)に反する流れであり、質の向上という点からは程遠いものがあります。

何とかしてくださいな。人生100年時代。「長生きしちゃってごめんなさい(早く死にたい)」の如く仰った車椅子のおじいさんの言葉が耳に残ります。

 

さて、昨日記した疎水の安朱橋から真北方向に行けば毘沙門堂という古寺がありますがそちらの門前に極楽橋なる小さな橋が架かっています。

毘沙門天の御本尊として「極楽」の語の雰囲気のギャップは私の勝手な阿弥陀=極楽浄土という発想からですが、こちらの「極楽」名称の所以は橋の前に立つ石刻板にあります。

後西天皇の行幸の際その先の景色の美しさに「極楽浄土!!」と感嘆、ということで「極楽へ渡る橋」ということになったそう。

意味としては単純明快でした。

 

こちらは春は桜、晩秋は紅葉の美しさで名高い場所ですのでおそらくそれらへの感慨を口にしたのでしょう。

「下乗」の石柱が建っていますがこちらは「乗り物から降りる場所」を指定したもので、それ以上は「徒歩にて上がれ」の標識ですね。

他にも「貴人麗人」の存在があるので「敬意を表せ」の意があるものですが、この手の標識を見ると、私は司馬遼太郎の「助兵衛物語」(すけのびょうえ―花房職秀)を思います。

助兵衛が早雲寺に陣取った秀吉の門前通過の際の出来事でした。爽快な場面でニヤリとしてしまうところでした。

 

下乗の裏側には「平常心是道」。極楽世界から出てきたということでしょうか。しかし語彙としてはイイ言葉です。