夫婦不仲 家光正室 鷹司考子はお公家から 伝通院

昨日の奥方は午前八時発の渋谷行バス(「5号東急」)で都内へ向かいました。

前日にチケットを購入、「さてさてどんなもんだ」とのチャレンジだと。キャンペーン中で片道2500円、そして急ぎの用事ではないという条件が重なったということですね。

 

すると暫くたって榛原静波から空港に上がるという遠回りはかなりのストレスとのボヤキ節。バス乗客は奥方独りきりだとのメールが。

藤枝に着いたときにようやく5人乗車があったといいます。

渋滞に遭遇した人で渋谷-相良間「7時間」と聞いていましたが奥方が「渋谷に着いた」の連絡は13時を回っていました。

予定より遅れたようで5時間以上の時間がかかったのでした。

「よくもまぁ」とあきれ返ったワケですが、あの空港遠回りに関しては余計で腹が立ちますね。

それがネックとなって利用したくない人も多そう。

どなたか言い出しっぺのプライドのためでしょうか。それにしても赤字はあきらかな気がします。

あとは耐力の問題。そろそろ「や~めた」の声があがる頃かも。

 

さて、伝通院の墓域には江戸期大名系の墓塔がズラっと並んでいますが三代将軍家光の正室の考子も眠っています。

この人は鷹司信房の娘で鷹司孝子「本理院殿照誉円光徹心大姉」

この鷹司信房は二条家から鷹司を継承して関白まで登りつめた人ですが公家であってこの信房の名の「信」は信長からという変わりダネ。というか孝子の弟の信平は公家から旗本(武家)と転身していますのでそれもまた「信」の字がそうさせたのか・・・と考えてしまいます。

 

家光と孝子は婚姻当初から「性格の不一致」があったのか早々に別居、離縁されて「御台所さま」の称号は剥奪されてしまいます。離縁も実家に帰されずに江戸城に軟禁状態にあったといわれます。

将軍家にしろお公家さんの家にしろ庶民レベルでは想像もつかない事がおこります。