病と天災 あの台風、京都名刹も散々 高山寺開山堂も

この秋一番の冷え込み。

気温的には17℃と大したことはないのですが遠州特有の北西風が吹き出して体感温度はずっと低く感じました。

ということでこの日をもって半そでシャツ1枚というのはあきらめ、その上に一つ着込むことにしました。

「粋がって薄着をして」(奥方)、風邪でもひいたら後悔することになりますからね。

ただでさえ喉(気管支)の調子は完全ではありませんので。

この手の不調で3か月経ってまともになれないことなど未だかつて無かったことですから、免疫力の低下を疑っています。

というか一言で「齢」なのですが。

 

「齢」のせいとはカンタンに言いますが先日はその思考を完全に停止させられるような死についてある法事のあとに聞かされました。

その方のお姉さんが「大動脈解離」で突然倒れたということでした。その方の年齢から推測するにその方は40代と思われますのでまったくその「齢のせい」などとは言えません。

私が20代の頃、同年代の女子がやはりその手の病で亡くなっていますのでしかりです。

 

その方が後悔させられたのは、お姉さんは検診にて若干の異常を指摘されて、「次回は念入りに」と再診を約していたこと。

厳しくも結果的に「次」はなかったということですが、私たちの命というものは偶然の中に生まれて、奇特に長らえていることを今一度思わされたのでした。

 

先般は私の以前の活動エリアでもあった桜木町駅近くの国道16号でのバスの事故の件も衝撃的でした。市内巡行のバスがあれほど大破する様子を見たことがありませんでしたし。

その原因が運転手の病といいます。

睡眠時無呼吸症候群で運転中に意識を失ってしまったとのことでした。

法的責任についてともかくとして、そのことも私たちの病についての認識を改める必要があると思ったところです。

しかしながら基本、人というものは「自分は大丈夫」という基幹的発想の上に立っていますので「お前も死ぬぞ」なる警告があったとしても「合点はするがそれはそれ、異次元のこと」と笑って済ますのでしょうね。

 

天災といえば先の台風は御前崎を中心にかなりの被害(蓬莱橋)をもたらしましたが京都でもその前の台風によって多くの名刹が痛んでいました。

西本願寺の壁が崩れたほか、仁和寺、平野神社、鞍馬寺そして高山寺などなど、そこいら中です。

そのうち平野神社の拝殿は倒壊。こちらは平安遷都の際に平城京から移築されたといいます。

古刹というものは気の遠くなるような時間とその価値がありますし、今度の台風被害の状況が半端ではなかったことを思います。

藤枝渡辺商店(瓦)が拙寺報恩講の寺楽市出店を見送る理由はそれらへの対応も入っていることでしょうね

 

上記でも鞍馬寺と高山寺などは重機が入れない山腹にありますので、倒木撤去と修繕などヘリコプターの手を借りなくては無理という場所があります。

何せその寺のある山ときたら樹齢400年クラスの大木が根こそぎ倒れているようです。

資金的にもかなりの出費になることは必定。

お寺としては秋の紅葉シーズンを見込んで何とかしたい気持ちがあるようですが、人の手だけでは仕事は遅々として進んでいないようですね。

 

画像は参道倒木によって通行不可となっている高山寺

①の参道前の「不許飲酒」はわかりやすい結界(戒壇)。

大抵は「禁」か「不許」の次に「葷酒入山門」というのがオーソドックスです。

②が倒木が屋根に当たったままになっている開山堂。

 

最後の画像の石水院(国宝)は通常通り公開しているようです。

11月1日(木)から12月2日(日)までは「遺香庵」という茶室が公開されるとのこと。