野洲久野部圓光寺 鎌倉期の層塔 元は十三重 

昨日は中学生の事件・事故が各報道されていました。

人は生きている限り何らかのミスやら失敗を繰り返しながら命というものを繋げているのですがその重大性に気づかずに致命的、取り返しのつかない事を自ら惹起させて悲惨な結末を迎えてしまったとしたらとても残念な事です。

人は「運・不運」という人智を超えた機会の利益の有無についての結末の差について触れるのみですが大抵はその利益について何も感じられずにいる事すらありますね。

 

特に成人ならばまだしも、情緒不安定で尚また人生の経験が未熟なその年代の子供たちが生涯的失策へ辿った結末は何ともやるせないこと。

昨日報じられたそのうちの一つ、神社の灯籠に登って塔頂部の石材もろとも落下して亡くなってしまったという件。周囲すべての者が悔やみます。

 

石塔の種類は数ある中、真宗寺院に建てられるものといえば灯籠くらいのものでしょう。五輪塔・宝篋印塔ほか層塔の類は当流の宗旨から離れてしまいますので。

石塔好きの私ではありますが、その中でもイイモノといわれているものは「古いモノ」というのがお決まりですからどちらにしろお気に入りになりうる石塔は手に入らないワケで。

ということで比較的カタチのイイ灯籠くらいならばゆくゆくどちらかに置いてみたいと以前は思っていました。庭に灯籠はつきものですからね。

 

しかしそれまでには至らなかった理由は・・・地震の事も頭をよぎりますが境内に置いたとして果たして何かの理由で落下したら・・・を考えたからです。

私は以前ユニックを駆使して依頼された灯籠の移設を行ったことがありますが、何しろ重たいパーツを結構に不安定を思わす積み方でもって「偶然」にまかせて立たせているような感がありますね。

 

上記「何かの理由」というのが子供が何かの拍子で揺らしたりよじ登ったり・・・そして落下・・・の超不安でした。

全国どこにでも見かける石塔たち。

管理者有無色々でそれらはまず大抵は立っているだけというのがその性質。中には平安鎌倉時代から立ち続けている時代物まで古いモノだとトコトン古い。

 

石材などいうものは時間が経てば経つほど味は出てきますが風化劣化も同時進行して脆さも露呈しますからね。

ジョイント部分は古い時代のものはソケット状の細工からちょっとした凹凸の細工をもって「据える」ものですが、最近のものはセメントで接着しているものもあって特にそれはイケません。

一見しっかりと固着しているように錯覚してしまうのです。

まあそもそも石塔によじ登るということが如何に危険な行為であるか、学校で今一度子供達に教えていく必要がありますね。

 

教師等はそのようなこと、リスクが身近に存在していることはあまり気にも留めていなかったでしょうが、昔から子供たちは高い所・・・墓石、石塔に登るものなのですね。

最近はそういう不謹慎な遊びをする子供を見かけなくなりましたが私の子供の頃は平気で墓塔に上がってはひっくり返して寺の坊さんに追いかけまわされたということを聞いたものです。

私の場合は石塔は「倒れるもの」というイメージが頭にありましたのでそこのところは注意して墓場で遊びましたが。

私はむしろ城址の石垣を見ると登りたいという衝動に駆られてしまいますが。

 

さて、石塔のうち「高さ」に圧倒されかつ「登りたい」という気持ちに駆られる層塔は日本全国数多ありますが野洲の久野部円光寺の層塔(場所はこちら)は、きっと古来から近所の子供達の登攀の憧れを集めたのだろうと思います。

トップの宝珠の部分含めての欠損は「そのためか」とも勝手に思ったり、それにしても子供たちの間では昔から「お前登れるのか?」「できるぞ!!」などの会話が聞こえてきそうです。

そしてどれだけの子供達が怪我をしたのか・・・

 

こちらは鎌倉時代中期の九重塔。高さは394㎝花崗岩製。

重要文化財に指定されています。

何といっても800年以上の間、凛々しく立っている塔ですからね。

現状は「九重塔」ですが、元は十三重塔だったよう。今のトップは宝塔の笠を流用しているとのこと。

初重軸部には三面像肉彫り。そして一面は梵字の「タラーク」で金剛界四仏(真言系)を表現したものです。

 

現状鉄柵で囲われていますので近年にもそういった事案があった事を示唆しているようにも思います。

子供が集う絶好の遊び場となりうる境内です。子供ならやりかねませんからね。

以前ならそういった事故は地方の取るに足らない一事案だったのでしょう。

石塔に登ってはイケません。理由は単純、崩れるから。