波津古地図にある大澤寺に消滅した喜盛庵と宝泉寺

先日の法要の読経が終わって内陣から外陣に移動するために一旦外廊下に出るのですが拙寺で昔から「坪ノ内」と呼んでいる本堂北側の庭に人が居るのに気が付きました。

通常、そのエリアに人が居ることはありえない場所で、もしそれが夜間であれば庫裏へそっと戻って「さて何(槍か刀か)を持ち出すか」と思案するような異常事態です。

その際は袈裟を纏っていましたし大勢の皆さんを本堂に待たせている身でしたので一瞬間棒立ちになってしまいました。

 

狭いエリアですので私の存在に気付くはずなのですが、その人は

懸命に柿の実の重みで下がった枝に背伸びしてその実をもいでいるところだったのです。

2つばかりの「収穫」のあとにその知らない人と目があいました。何を言ってくれるのかと思って様子をうかがえば「法事は終わった?」でした。

私も「一体誰? 何?」という気持ちでしたが「ただ柿のことで他愛ない」と判断して本堂に入りました。

関係者を装うその機転の発言(先手を切って質問する)に私も何も返す言葉はありませんでしたので一本取られたの感。

 

柿は父が好きで2本ほど木を植えたのですが、毎年適当に実をつけます。私は特にその果実を期待しているわけでもなく最近はずっと放ったらかしにしてただ鳥たちの憩いの場としていました。

びっくりしちゃいますからね。庫裏に一声かけてくれればよかったのですが。尚、檀家さんでしたら全然問題ないですよ。

(ただし夜間はダメです。押っ取り刀となってハチャメチャです。目も悪くなりました。イキナリ刃物を振り回しかねません。)

 

私も経験はあります。

柿やイチジクに栗、タケノコ、海ではサザエ取りなど。ただしその楽しみの多くは学生時代くらいまで。

それもさすがに他人の屋敷に入るリスクはまず取りませんでしたね(ただし墓への要求はなかなか・・・)。

 

いろいろケチって収穫物ほか自分でやれる事は自身で何とかしようと試みますが、たかだか「柿の果実2個のために」そのようなリスクをとるなんて。ちょっと信じられません。

山でタケノコ堀りをして「通報されちゃった」(警察沙汰)という方を知っていますが相当に面倒な事になりますからね。

何よりみっともないでしょうよ。というかやはり犯罪です。

 

まぁ最近の世相というか人様を騙そうという輩が溢れかえっている様を見させられていますので古き良き時代を思わすアナログ的お気楽さにむしろホッとさせられました。

 

さて、昨日の相良波津の古地図の右上の部分、東西に走る飯津佐和神社前の波津中通(国道150号線はまだありません)が二つに分岐する辺りがよくわかります。

そちら辺りが昨日記した樋尻川と交差している場所でした。

 

今の地図⑤に青いラインで記されていますが田沼時代はその先で「むら池」(昨日ブログ)からの流れと相良城の堀と繋がっていたというのが推測されているところ。

 

地図を拡大したのが①。

その樋尻川から「むら池」側に戻った路地に二つのお寺のマークがありますが、その南側の寺が私どもの大澤寺。

向かいのお寺が曹洞宗般若寺の末寺の喜盛庵(きせあん)です。

喜盛庵は本尊が薬師如来。慶長十年に般若寺三世が創建とありました。昭和も戦後辺りまであったようですが廃寺となって今は墓地のみになっています。

 

そして今一つ、やはり廃寺になった黄檗宗の宝泉寺が見えます。

現在の地図上には曹洞宗泰盛寺が記されていますが、今一つ小堤にあった泰㝎庵という般若寺の末寺と喜盛庵が合併。双方1字ずつを取って牛頭山泰盛寺となったわけです。

②③④は相良町誌より。

 

古地図の宝泉寺の南側の辻に記されているのが高札場。

今は国道473号線と中道の交差点となりますが、古き相良にはその道らしき道といえばその交差点から拙寺と宝泉寺を結んだ辺りまでの小径程度。

そちらから北方向に延びている国道のある場所はかつての田圃でした。というわワケで古地図にはしるされていないのでした。

安政地震の際の宝泉寺から山へ上がる避難はその畦道を走ったのでした。

 

念のため本日はアナログではない、よく考えれば「そんなアホな」的スマホメール詐欺サイト勧誘メールについて面白がってアップいたします。くれぐれもお気をつけいただければと。

某人に送られてきたものをスクショして送っていただきました。これらは全部詐欺メッセージですね。

 

ちなみにその方は楽天とヤフーの利用をしているそうですからおそらくそういったサイトからアドレスが流出したのでしょう。アドレス1件ナンボで売っている不届き者がいるということ。厳重な管理などできませんからね。

面倒ですがひたすら無視してゴミ箱に放り込むことのみ。

それにしてもこれだけの不審メールが来たら私ならブチ切れそう。