報恩講には御膳でご接待というのが倣いでした 

昨朝からその日の予定をぶち壊されたのは浜岡の叔母からの電話。携帯電話からの発信でしたがそれは叔母が隣の家の奥さんに依頼したからと。

停電でご飯が炊くことができないとのこと。

一瞬「また出鱈目」と頭をよぎりましたが電話口には他人様がいますからまさかと思い「昼に行くから」ということで電話を早々に切ってもらいました。

 

台風24号が過ぎて丸一日の停電については承知していましたが、当に復旧しているはずですからね。

ゴミ片付けで忙しいところに呼び出されて訳のわからない事あることないこと聞かされて閉口していると、どうやら朝から池新田の東町で火事がありそれが原因で停電になったとのこと。

11時30分頃には復旧していたとのことでした。

 

帰り際に懐中電灯を買いに行きたいというので、どうしたかと聞けば「盗まれた」と。「もう停電は無いよと」相手にもせず逃げてきましたが途中で「しょうがねぇなあ」という感じでホームセンターに寄ってみれば、カセットコンロとともに普通の懐中電灯は売り切れになっていました。

私の家には台風24号が来る前に3個も追加買いしていましたので念入りです。数日中に1つ叔母の家に届けるつもりです。

 

さて、気管支炎悪化で先日は静岡市内の古本屋の前を通過するだけでその匂いに胸がむかつくほどでしたが、マスク着用で土蔵チャレンジ。

その日は無数の「腐った」書籍を2階から落し、1つ2つ木の箱を開けてみました。

 

明治二十三年と記された箱には4名の世話役(小山家2名、布施家2名)の名とお盆が数点。

そしてお椀が5個。お椀の箱は朽ちていましたが中身のお椀はまったく新品同様。

塗りもキレイで「コレは別格」という具合に丁重に洗浄し、庫裏の食器棚に収めました。

しかし奥方はこんな「大きな椀を何に使うの」と。

お茶碗と丼の中間の大きさになります。

 

浜岡の叔母が言うには報恩講にはたくさんの人たちが庫裏や本堂に集い、御膳が振る舞われたそう。

子供の頃(戦前)にそちらへの飯盛りの手伝いをしたことを懐かしんでいました。

今となると簡易的報恩講で御先祖さまには申し訳ないような気がします。もっともこれらは相当昔(100年近く)から蔵の中に押し込まれていました。

 

料理を作る側も食べる側もみなさん「時間がない」というのがその理由ですね。

何故に人はそれほどに「忙しく」なってしまったのでしょう。

「心を亡くす」と書いて「忙」。

せめてそれを口にしない事を「心」に留めようと思います。

コメントをお書きください

コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (木曜日, 04 10月 2018 09:20)

    誰も忙しくはないんです。回りに、世間に振り回されているだけ。
    自分が「これで良し」となれば心に余裕が生まれます。「足るを知る」
    どこまで行っても「足るを知る」。
    それが「進歩」それが「勤め」・・・
    人生なんて過ぎればそれまで。たかが長生きしても100年。
    それが出来ないのが人生。達観することは難しいです。
    時間があるようで無い。無いようである。
    気持ちひとつです。
    そういう私も「あー忙しい。」
    忙しくないと取り残されたよう。馬鹿馬鹿しい。

  • #2

    今井一光 (木曜日, 04 10月 2018 14:15)

    ありがとうございます。
    気張れるところは気張って、緩めるところは緩め基本は「阿弥陀さんにおまかせ」
    スタンス、
    あるがままに余生を送れればそれでいいというのが教科書通りなのですが・・・
    しかしながら欲求というものも半端じゃないですからね。
    それが生きている証拠ですし。
    まさに煩悩具足の凡夫たる私です。