静岡関りでは高橋泥舟も 谷中大雄寺 

こう雨が降り続くとやらねばならぬことばかり抱え込んでいる身としてまったく困り切ってしまいます。

もっとも体調の方も万全ではなくあまり「さぁ、さぁ」という具合に張り切って動くという体調ではありませんね。

境内周辺は草ぼうぼうとなって土蔵周辺は散らかりっぱなし。

どちらかでも記しましたが物置再建工事にあたりケチって土蔵の瓦は私共で下ろすことにしていますがまずそれができないと工事が始まりません。

土蔵南側に足場を建てるために木々の枝払いが必要ですがそちらの宿題も残っています。

お天気が晴れていれば「ぼちぼち」という気になりますが、こう雨が多いとお手上げです。

 

そこへきて台風24号が進路を変えて本州縦断コースを辿る予想が出ました。金曜日が晴の予想なのですが、とにかく台風対策から始めなくてはなりません。土日は法事でどうにもなりませんし・・・。何時までたっても工事が始まりませんね。

 

さて、勝海舟のメッセージを山岡鉄舟が駿府に出向いたシーンが先週の大河ドラマにありましたが、本当は西郷へのメッセンジャーの大役は鉄舟ではなく、高橋泥舟だったことは劇中省略されていました。高橋は当時不穏な空気の漂う江戸の慶喜警護という重大任務があったうえ慶喜も絶対的信頼をしていた高橋の不在に対して心細さを露呈したようです。そこで急遽駿府に飛んだのが山岡だったのでした。

 

高橋は槍一本で出世(将軍付き)したと言うほどの剣豪でしたが、それにしても幕末で活躍あるいは生き残った武士というものは剣の腕は剣豪師範クラス。

それに人を口説く話術があればまさに鬼に金棒だったのでしょうね。

そして何より山岡鉄舟も高橋泥舟もともに新政府政権への地位に拘らなかったところがいいですね。

昨日は鉄舟と義弟の松岡万の件を記しましたが鉄舟が亡くなったあと、その借金は泥舟が肩代わりしたといいます。

要は泥舟もおカネには困っていたと思われますがそこで例の揮毫乱発ということになったのでしょうね。

 

ここでおさらいしておきますが、そもそも山岡鉄舟の旧姓は小野で小野鉄太郎。そして高橋泥舟の旧姓が山岡でした。

石坂の件がありますので混乱しますね。

山岡家の長兄に就いて槍術を磨き、母方の高橋家を継ぎますがその後長兄が死し、やむなくその妹の英子に婿養子として小野鉄太郎を迎えたのでした。山岡英子の妹が桂子で石坂周造へ。

石坂の借金は鉄舟→泥舟へと継承されたものと。

 

高橋泥舟の墓は谷中の大雄寺(場所はこちら)。本堂前の大きな楠の下にあります。鉄舟の全生庵と距離的にそう遠くはありません。大雄寺は母方の菩提寺だったのでしょう、全生庵とは宗旨が違いました。「家」を大事に生きた時代でした。