現存天守閣 松本城の黒は私的好み 今回も無計画 

一昨日からの超絶不調につき午前中はゴロゴロと休んでいました。

不調だから怠惰にしている・・・しかし思い切って外に出れば元気になるかも・・・外の景色を見てブラつきお腹を減らして御飯でも食べれば結構ラクになるのではないかと悶々としていました。

 

すると工事の親方が見積書を届けにやって来ましたので土蔵内の整理が遅々として進まない理由を境内にて聞いていただきました。本当は人との接触が辛かったのですが、思い切っておしゃべりができたというわけです。

どちらにせよ工事がスタートするには建築申請が必要でそれは境内の図面を作らなくては始まらないということで「そう急ぐことはない」と。安心しました。

 

工事費が思わず高額になったため「内装をテキトー」(1階の内装はしない、2階はあとから私の手で行う)に変更するなど省略を試みました。

当初より今ある土蔵の瓦は私が下ろすことは決めていましたがそれでも私が奥方とその作業を行えば3~4万円の節約になるそうです。

屋根から転げ落ちるリスクよりも瓦土を吸い込んで寝込む方が怖いというのが本音ですが。

まぁ数万円のために・・・「For a Few Dollars More 夕日のガンマン」の原題を思い出しました。

それにしても職種として「解体屋」さんという仕事がありますが気管支や肺が弱い人は「仕事にならない」でしょうね。

私も大抵の外仕事には自信がありますが、それだけはムリと断言します。

 

人と「会話をする」ということはやはり自身元気にしてくれますね。おかげさまで「ヨシ」と踏ん切りをつけて磐田のSCにお昼を食べに出向きました。

祭りの太鼓と笛とあの変ながなり声に閉口。毎度の事ながら何しろ家に居るのは苦痛でした。

 

さて松本城(林城→深志城→松本城 名前の変遷)の蓮と赤い橋の画像を昨日upしましたが本日はそのお城からあの橋を見た図を。

現存天守12城といわれますが松本城は私の天守のある城、国宝の城としては1番の好みの城です。以前ブログで記しましたよう拙寺を「クロ系」にしたのは松本城の雄姿をイメージしたからなのですが・・・。

 

拙寺の本堂の破風を黒く塗ったのは私ですが(松本城の破風は黒くない・・・)あの時は毎日が楽しくて仕方がなかったですね。

ドヤ顔で言いますが思えばあの年は一切台風の上陸が無かったのでした。それは私の一生の自慢となる機縁です。

何せ恐ろしいほどのデカイ足場に無防備状態で覆われていましたからね。ラッキーでハッピーだったということです。

 

松本城と言えば信濃守護小笠原が高天神城小笠原に通じるものがありますし、謎の出奔でお馴染みの三河侍、家康の懐刀、石川数正が秀吉配下としてこの城に入っていますね。

以前石川数正出自の地、三河は安城の法行寺について記していますが父方祖母の旧制は石川でした。何より数正もちゃきちゃきの門徒だったというところも親しみ深いものがあります。

しかし天守アリの「城」(通常私が向かうのは「跡」)も素晴らしい。しかしあの日は書生さんだらけ。入場制限までありました。

上がってもどうってことなしなのですが、あの赤い橋がお城側から撮影できましたってとこ。

 

やはり秀吉配下となった石川氏統治の面影を残そうとしている指向もお見受けできます。

小学校低学年の頃と35年前と今回で3度目の訪問となりましたが以前の事はサッパリ忘れてしまいました。

最後の画像はあまりに若くて恥ずかしいので顔を潰しました。悪しからず。あの時も無計画に立ち寄っただけでした。