丁度10日前に当奥方の絶不調による通院の件を記したのでしたが(ブログ)実はその数日後の夜間、奥方は突然の呼吸困難に。
「すわ救急車!!」の状況に陥って私は叩き起こされました。
その際は何とか呼吸が戻って最近は「生きてるか?・・・」が朝の挨拶となっています。
当初私も咳こむことはありましたが奥方の疲弊に関しては「やれやれ」の躰。私の方はいたって軽かったという楽観がありました。
ということでこの頃は私独りで土蔵の中身と古文書たちの整理を少しずつ継続していたのですが、当初の症状(咳)は日増しに悪化して、ついに昨日奥方の尻押しもあって地元医院へ。
「ああ呪いね・・・」ということで奥方と同じ薬を処方してもらって帰りました。
病名を真面目に聞けば「アレルギー性の咳嗽(がいそう)」と。
堆積した古い埃がこれほど体に悪さをするとは驚きです。
奥方は呼吸困難に陥った翌日その医院で再診し、より強い薬を処方されていますが、「私もそれを・・・」と所望するも断られました。投薬のステップがあるそうです。
反省点、後悔は
①苦しんでいる者を「やれやれ」などと厄介者扱いしていないで自分もさっさと医者に行けばよかったと。私は大丈夫という発想もいかにもお寒い。「自力で治す」などまったくダメ。
年を重ねて免疫力いよいよ低下中です。
②「咳嗽」は体力を思わず消費。食欲も無くなって一気に病弱体質になります。まったくへろへろです。
他の日和見感染のおそれもあります。咳を捨てて置けません。
今後本格的な工事に入りますがそれまでに何とか健常に戻しておかないと・・・尚、アレルギー性ですので他者への感染はないということと町内祭典に入るため法事がないというのがいたってハッピー。
さて、人(仏教徒)の根源的幸福は「お浄土へ」その住処を替えること。阿弥陀三尊の来迎図の如く観音菩薩の差し出す「蓮台」に「乗っかっる」ことなのでしょう。
諸説ありますが、私ども真宗には「来迎」はなく、「すでに阿弥陀仏はこちらにおわします」が真理で、また観音さんも勢至菩薩もご一緒しないという阿弥陀仏一尊(一向専念無量寿仏)がド真ん中になっています。
ただし、私どもの「華」のイメージは「蓮」なのです。
というのもその蓮の姿を人間のあり方として喩える「蓮の三徳」なる言葉を聞かされて育てられたからです。
気持ちその差し出された蓮の台に乗ってみたいという気になりますがまずはお断りしたく医者に駆け込んだという次第です。息子に「生きながらえたいのか」と再び言われそうですが。
画像は松本城の名物赤い埋橋近くの蓮田。
あの種を拝借して育ててみたいとは思いましたが・・・やはりそれは・・・泥棒なのでしょうね。
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小山昭治 (土曜日, 15 9月 2018 11:03)
ツタンカーメンの呪いも同じようなものかも知れませんね。
あちらは何千年も前の塵ですから効果も絶大だったのでしょう。
江戸、明治、大正なんてちゃちな塵です。
とは言っても人に寄りけり。アレルギーなんてそんなもの。
いくらお宝が見つかってもぜんそくになっては困ります。
ご用心を。
今井一光 (土曜日, 15 9月 2018 11:32)
ありがとうございます。
湿気た土蔵の空気は肺にカビを生やすような感じがして
一層不快さを増長させています。
奥方は金輪際土蔵仕事から手を引くといっていますが
私はまた入らなければなりません。
滞留時間を短くして行こうと思います(中で呼吸しない)。