恫喝 「末代まで祟るぞ」 んなワケぁ無いわな・・・

とにかく朝の Naomi Osaka の全米オープンでの快挙は素晴らしいニュースでした。

性格的なモノもありましょうが謙虚で素朴、「日本人女子」の血があのようなコメントになるのでしょうね。

好感の持てる若手でこれからが大いに楽しみです。

彼女の姓が大阪生まれの「大坂」というところも気に入っていますがもう一方やはりアメリカにて大活躍中の「大谷」の好青年振りもテレビ小僧の楽しみになっています。

私どもが真宗「大谷派」だからとこじつけているワケではありませんが。

 

さて、某葬祭業裏事情に詳しい方と談話する機会がありました。

爆笑だったのは携帯電話の呼び出し音が静謐のホールに鳴り響いたという件。

最近は葬儀ではさすがになくなりましたが法要ではまだまだ結構ありますね。中には「なんだよその着信音は・・・」と聞いている者が恥ずかしくなるような「個性的な」ものも散見します。

それが葬儀中に鳴り響いたというわけですが(着信音の種類については不明)想像に難くありませんね。

きっとホール内は「誰だ一体」の怪訝と「もしかして私?」の疑心暗鬼の雰囲気に凍り付いた時間になったことでしょう。

 

それがなんと僧侶が葬儀中に持ち込んでいた携帯電話が鳴ったのでした。 

そのお坊さんはおもむろにその携帯電話を取り出して電話に出てしまったそう。

吉本新喜劇を彷彿とさせるその場、出席者全員がコケるところですね。この件笑うところは各所に散りばめられています。

 

①「犯人」は坊さんの携帯だったということ。

「バイブにするか切っとけよ!!」と思うところですね。

そして

②坊さんはその電話に出たということ。

「出るんかい・・・」ですね。普通はそうであったとしても何とか音を切る工夫をしますので。

ちなみに私の場合は携帯電話を葬儀式に持ち込みませんし、会場入りする際も事前に何度も「消音」を確認することは欠かしません。

③電話に出て「はい、もしもし」の言葉。

コレは新喜劇の辻本茂雄の携帯電話に関わるいつものネタですね。まぁ大阪近隣でないとわからないかも知れませんが・・・。

 

葬儀式というシチュエーションは思わぬオカシな状況を演出するものです。ちなみにそのお坊さんは何気なく式を終わらしたようです。その度胸の良さと笑いの嵐に座布団を。2~3枚OK。

 

そして今一つ面白かったのは「この御時節ながらますます意気軒高なお坊さん」のお話でした。

私の如く蚤の心臓しか持ち合わせていない者にとってある意味憧れてしまいますが全てにおいて「破天荒」なお坊さんの話です。時として「そりゃあ無茶な・・・」という対応をされる場合がある事を聞きますが同席していた方が「お寺を変えちゃえばいいじゃん・・・」と。

すると事情通の方はこう言いました。

伝家の宝刀ともいえる脅し文句があるとのこと。

それが「末代まで祟る」だそうです。

信心というものが欠落してきた・・・と囁かれている昨今であっても坊さんにその語彙を使われることに震え上がるといいます。

 

ちなみに私ども真宗(阿弥陀信仰)には「祟り」の概念はありません。そして「祟り」というものを信ずることは本来の信心ではなく「邪道」といいます。

他者を自分の元に繋いでおくという意図なのか人に無意味無関係な精神論と恐怖を与えるといのなら笑って済まされる件ではありませんね。

 

祟り?ナイナイそんなもの。

御先祖様が子や孫たちに何を怨もうというのでしょう。

「今生きている」のは私であり貴方です。

すべてが自由で他者に拘束されるなんて事は何一つありません。

 

画像は地獄絵図。

①②は「地獄極楽草紙」抜粋。①に地獄の釜で茹でられてしまっている死者が阿弥陀三尊の来迎によって浄土にすくわれている様子。鬼が腰を抜かしている状況。たとえ地獄の状況に堕ちたとしても阿弥陀の強い救済力によって助け出される有難さ。③④は拙寺の土蔵から。