蕉園渉筆 板倉呂仙の段2と3 野洲条里出自と聞く

昨早朝の雷には「叩き起こされた」感。

強烈な振動も伴い見回せば猫一匹見当たらなくなっていました。

ネコという動物はそんな時「とりあえず場所を変えること」を一義とする習性があるのでしょうね。

まったく無意味ではあると考えますが、そういう私も上掛けを被ってしまいました。

祖父をまた思い起こしました。雷が鳴り出して蚊帳の中に逃げ込んでいましたがそれもまったく根拠なしです。よく「臍を取られるぞ」と脅されましたが。

 

以後起床までうつらうつら・・・本堂に「落ちたら・・・」それはそれは悲惨ですが横になってこう考えます。

長い間本堂は立っているが雷なんぞが落ちたなど聞いたことが無いではないか」です。

避雷針もありませんが、何故か雷は他所に落ちます。

しかし「これまで一度もない」の楽観ほど空しいものはないですね。自然界のそれらは人間の推量など木端微塵にすることはしばしば目撃していますし。

最近になって思うようになりました。やっぱり避雷針は必要なのだろうか・・・です。しかし今更の感がありますし・・・。

とにかく無事で何より。「無事」ほどの「幸福」はありませんね。

 

そして昨日午前は、台風対策。土蔵がら出して雨ざらしになっては困るものを会館の中に押し込んで植木の背の高いものたちを軽トラの荷台に積み込みました。

残りは直前対応ということで玄関内に入れる算段です。

勿論本堂は正面1か所を除いて雨戸を閉めました。

勝手な事を申しますが、この台風、どうか被害軽めでお願いしたいところですね。

 

そんなこんなで目先の自然災害についての不安を思っていれば昨晩のNHK「巨大地震」の視聴(「スロースリップ」なる前触れ)にあたってまた震え上がった次第です。嫌な感じ・・・

その日を「Xデー」という表現を使っていましたが・・・そちらの方はもはや「軽度」では済ましてくれないよう。

心には痛みと傷みと悼み三つの「いたむ」ものがありますがそのどちらもできるものなら逃げてしまいたいというのが本音ですね。

 

さて、昨日に続いて蕉園渉筆

蕉園は板倉呂仙と昵懇にしていたようで、他にも渉筆の中で彼について触れています。板倉家は商家で繁盛した家ですが画家の呂仙を輩出しています。どちらかで記しましたが相良「板倉」の元でやはり出自は近江、野洲というのが定説です。

 

①夢・鍋屋市兵衛

相良鍋屋市兵衛夢一異人来揺醒曰、汝枕西方須起而東首夢中怯其眼目、擁被不應、異人手挙之、驚而畚、呼燭照見則東首、而非初所枕之方也

 

夢枕に異人か立って「西を向いて寝ないで東を向いて寝ろ」と指図したのですね。「呼燭」とあるところが面白い。

家中に人が居たのですね。要は「おい灯りを持て」ですね。

すると自身は何故か東向きに寝ていたというオチですが蕉園渉筆の中に見られる奇談の一つです。

 

夢の中の事まで蕉園に話すほど親しかったということですね。

そしてあと1件。

 

②鍋屋市兵衛

縣令已下羣吏、自古擇相良近府豪商、毎人一戸、日来給於家、滓用甚便、余家為鍋屋市兵衛其兄唯作共稍好事、相良好人物也

 

代官として相良に参った小島蕉園は当初鍋屋市兵衛の家に転がり込んだのでしょう。豪商に厄介になるのが常だったよう。

市兵衛もその兄も好事家と。最後の言葉に蕉園の板倉家への高評価がうかがわれます。

他を見てもわかりますが蕉園は結構に辛口です。余程気が合ったのか蕉園に気に入られた人だったよう。

 

そういえば昨朝も鍋屋さんの大奥様と挨拶しました。

毎朝お参りを欠かさない念仏者、代々「西向き」の人ですが①は市兵衛の「頭の向き」(西方浄土)が寝相が悪くて東向きになったところを夢の中で指摘されたというところでしょうか。

 

画像①は以前拙寺本堂下から掘り出した板倉家の墓碑。

近江「正覚寺」からやってきたことと、初代から四代目の名が記されています。

私の推定ですがその際「板倉」は兄弟おそらく家族で近江から当初にやって来て兄が鍋屋、弟がカドキとして商いを大成し家と分家を広げていったのだと考えています。

 

静岡県内の「板倉姓」は牧之原市が抜きん出て多いのですが、当の近江野洲辺りでは数件しかありませんね。

商いが成功すれば一族を呼び寄せて仕事に従事させることは当然の事ですが・・・。

ちなみに野洲には「正覚寺」が二つありますが1件はお西②③、もう1件が仏光寺派です。

私の調査はここまで。もしそれ以上をお調べいただくのでしたら両「正覚寺」の住職に面談して聞くのが一番ですね。

 

まぁこの近隣の「木辺」には遍照山錦織寺という浄土真宗木辺派の総本山があるなど真宗系の地盤であることは確かです。

御開祖も滞留している場所でもあります。

 

④鳥居は兵主大社(場所はこちら)。

その名称から武家の信仰を集めました。

この地域は古代条里がしっかりと残る地です。野洲川と日野川に挟まれた「洲」状の低地帯は米の大産地であったことが見て取れます。ただし水害は半端なかったでしょうね。