拙寺家訓「断送一生棋局裏 破除万事酒杯中」

蝉の声が最盛期の10%程度になった今、南方海上からは連日の台風発生の声、あっという間に20番目を数えるに至りました。

午前中に地頭方方面に用事がありましたので、その帰り路いつもの地頭方港に立ち寄って海にその表情のお伺いに。

すると太平洋上の台風の影響は当然の如くで、少々ご機嫌斜めのご様子。

それを見て私は「折角の日曜日なのにねぇ・・・」でした。

普通はそれでおしまい。未練なしです・・・

もっとも私はただこの海を見るだけが目的でした。

夕刻からは殆ど3か月振りの通夜の予定がありましたし・・・

 

しかし青い空にはお天道様が輝き、秋風を思わせるも心地よい空気は人をより開放的にさせます。

ここでこの海の表情(やめておけの声)を察して海でのお遊びを諦めることができたか「オレは大丈夫」のいつもの人間思考の拙さによって「当初の計画の通り」の水遊びをを強行するかで人生が変わってしまった方々を多く見ますね。

 

上記の如くの自制が真っ当な思考なのですが、気を大きくしてしまうのでしょう、やはりその中でも飲酒が事故に関わること大。

その件自業自得と言い放ってしまえばそれまでなのですが、色々な意味で酒は人生をダメにするという古来からの訓戒は当たっています。

 

バーベキューなる河川海辺でやる「騒ぎ」がありますが私は大嫌いです。なぜならばそれらの「宴のあと」の散らかり具合をこちらにいて散々に目にさせられているからです。

食べて飲んで騒いで時に海に飛び込んで・・・それはまさに自由の謳歌であり発散、要は「レジャー」の括りにして他者のご意見などは無用でしょう。煙などが近隣に迷惑をかけることはありません。

しかし、彼らのその本質(自然の中でのバーベキュー)は要は「使い捨て利便の享受」「できればゴミもそのまま放置」にあると断定したとして・・・少なからずその傾向は強いと思います。

中には環境に配慮した善良な方々もいらっしゃるかとは思いますが現状夏の終わりの静かな海ほど腹の立つものはありませんね。

ハッキリいって人間というものが信じられなくなりますよ。

 

このような状況はデカイ台風が襲来すれば殆どのゴミ(プラスチック容器)は大海に吸収されてその場は見た目一掃されますが、

やはり海洋(生物)汚染に関しては拡大と蓄積のみ。

人間そのものの行為の重大性を思量しなくてはなりませんね。

人間はゴミを散らかすもの(仮定)・・・ならばプラスチック容器を無くしてしまう他はないでしょう。生分解性のものだとしたらどれだけのゴミ回収を漏らしたとしても何とか・・・なりましょう。そこではじめて騒ぎの「黙認」というものができるのでしょうが。

 

しかしガラクタ椅子など持ち込んで宴会後はそのままにするという行為は海に粗大ごみを捨てることと同様。

彼らからすれば一挙両得といったアイデアなのかも知れませんがね。

 

日本全国普通にあのザマを見せつけているのですから人間は「自然」というものに頭があがるワケがありません。

ピシっとやり返されていますし、ひょっとして文句など言えやしません。

自然が今、牙をむいて襲い掛かってきたとしても私どもはそれらの事象を放置した責任からただただ首を垂れるのみでしょうね。

私はこれからのまだ見ぬ自然の猛威というものに恐れおののくばかりです。反省しなくてはなりません。

 

さて表記

「断送一生棋局裏 破除万事酒杯中   ―  蒋塘漁者」は「大竹蒋塘おおたけ-しょうとう1801−1858」なる書家の御軸かと。

先日拙寺の蔵の中から発見したものです。

これを叔父に見せれば「当家の家訓の如くだな・・・」と。

どのような経緯で当家のまた誰が入手したのかまっく不明ですが、意味としては「酒は人生をダメにする」ということでしょうか。

きっとご先祖様のどなたかが大酒飲みで大失敗したのか・・・

私の知っている限り、当家縁者のうち酒を嗜む人は皆無です。

 

こちらは漢詩か中国の故事の引用でしょうが、世界中で昔からその件いわれてきたことですね。

特に「酒杯中」について。

釈迦の掌の上で遊ぶ孫悟空の高慢についてのお話がありますが、ここでは釈迦の掌ではなく盃の中ですね。

「断送一生棋局裏(ききょくのなか)」の「断送」―ダメにする―一生その中で踊らされているという様子もうかがえます。

 

盃の中で強がって、「自分は大丈夫」の高慢から一生を台無しにする人々が多い事、多い事・・・。

また飲んだら海・河川に入ってはイケません。

気が強くなるのでしょうね。私は畏怖を思います。

あの海の様子を見て。