「信不退 行不退」の場面に登場 熊谷直実

1週間で熱中症死者65人、救急搬送22647人の数字。

昨晩の夕刊にありました。

そのうち年配者がどのくらいの数に上るかはわかりませんがきっと御自身のその発症について微塵も危機意識を持つ事はなかったでしょう。父、母そして叔母の様子を見てそう思いました。私たちが音をあげそうな環境に居て「平チャラ」の躰でしたから。

 

母は外の酷暑とは縁のないギンギンにエアコンの効いた部屋にいますからまぁ何とか・・・という感じがしますが、一番にヤバイかも・・・と思うのが独り暮らしの叔母さん。

母もその傾向がありますが、見ているとあまり水分を摂りません。よって強く勧めるものですがそんなときは意地を張って飲もうとしませんからますます厄介なものですね。

 

独り暮らしを意固地になって選択し、「まだまだイケる」と意気軒高な叔母については、私も私事優先の日々が続いてついつい放ったらかし気味になってしまいますが昨晩もその新聞紙上の数字を見て少々慌て気味に電話をしてみました。

①エアコンを点けっぱなしにして寝る

②水分補給の大事と寝る前に一杯の水

について言い聞かせてとりあえず勝手な安堵をしたところです。

 

実は先日、御前崎の市役所から連絡があり役所から配布された独居老人用の緊急アラームのセットについて、「見ている人が居るのだから不要でしょう」ということで、返却を勧められました。

警備会社への直通警報が電話回線で連絡されるというシステムですが市の方である程度のコストが発生しているのでしょうね。できるだけ経費を節減したいという意図が見えました。

まぁ叔母は「何かあった」としてもそのボタンは押さないでしょうね。というか、あの年代の人がその「何か」の突発事由発生に瞬時にそのアラームを押せるかどうかなどわかりませんね。

ということで返却することになりました。

ところがそのシステムは親機と子機(画像赤〇)のセットということで、まず大抵その子機を紛失するパターンがあるそうです。その際は「10000円超えとなるペナルティ」ということで、案の定付近にはそれが無かったものですから必死に探索。

何とかベットに掛かっているところを見つけたのでした。

東京の警備会社に着払いで返送しておしまい。

何が正解かわかりませんが、当方でケアするという責を負っていこうと思います。

 

さて、一昨日に国内記録41.1℃を叩き出した熊谷ですが、テレビを見ながら近くにいる息子に熊谷直実について問えば「知らない」と。歴史嫌いか何なのか知りませんが悪寒がしますね。

 

「熊谷」の名は歴史上有名な場面で各登場し、その活躍は皆様方もご存知の通りで(各お調べいただければ・・・)拙ブログにても幾度か登場(またはこちら こちらも)しています。

 

その熊谷直実は当流寺院必需とも言って良い、親鸞聖人御絵伝に登場することを息子にそこのところ「学校で教わった?」という意だったのです。

すると昨日届いた同朋新聞(当流の月間新聞)の「御絵伝からいただく親鸞聖人の御生涯」のコーナーでその場面がたまたま扱われていました。

それが二幅目に記されてる法然上人御庵室の場面。画像は二つに分かれていますが右と左は同じ場所で「時間差」があります。いわゆる右側が「両座進言」、左側が「信行分判」の図です。

 

法然上人に進言したのは親鸞聖人。

そのテーマが「往生が定まるもの」ですが、それが「信心」なのか「行」なのかの二つのうちのどちらかでした。

ちなみに当時の浄土教の「行」とは断食や山岳回峰や滝行、座禅ではなく「何遍の念仏を唱えるか」であって「称名」のことですね。

 

その「行」こそによって往生が決まるのか阿弥陀仏専念の「信心」によって決まるのか弟子380余名いる中、ハッキリさせようという親鸞さんの提案でした。

法然上人はそれを了解し、翌日部屋を「信不退」と「行不退」に分けて、それぞれ門弟に二つのうちの思う方の部屋に座することを促しました。

 

殆どの門弟たちが「行不退」の部屋になだれ込み、親鸞さんほか数人の門弟と最後に法然上人が「信不退」の部屋に入ったという有名な場面でした。その「信不退」に入座した弟子たちのうち親鸞さん以外の門弟の名が聖覚法印・法蓮坊信空そして沙弥法力(熊谷直実)でした。

熊谷直実は故あって法然門下に入りますが、親鸞さんよりは30以上年齢が上です。画面の熊谷は「信不退」の部屋の前の廊下で頭を掻いているような後ろ姿になっていますが、彼の豪快奔放さをも描いています。履物がバラバラで揃っていず、「ようやく間にあった」の「遅参の到」ですね。

 

ちなみにこの場面は二つの示唆が描かれているといいます(同新聞より)。

「行不退」の間の襖絵に描かれた鷲の絵は「聖道自力」から離れられない門弟たちの深層心理。鷲は「力を頼りとする頑迷な心」といいます。

また「信不退」の部屋の前の「松と藤」の件。松は阿弥陀如来の本願、そして藤が我々凡夫の姿といいます。

蔓性の植物は松があっての姿。本願頼りに育てられ花を咲かすことができるというものですね。

法然上人と親鸞さんはのちに僧籍を剥奪されて俗名を与えられますが法然上人は「藤井元彦」で親鸞さんは「藤井善信」でした。その「藤」に喩えたのでしょうか。