寛政譜を図書館で探した件 成瀬正義

昨日は朝から西日本の大雨と医大裏口入学の破廉恥話が主でしたが9時過ぎにあのグループの大量死刑執行の件が舞い込んでからはどちらの局もその特集番組一色に。

政府のご都合のようで、この際一気に「やっちまおう」という算段だったようです。

先進国中、どちらも死刑廃止が叫ばれている中、かなりの強行をしました。世界の流れですからね、死刑=野蛮で粗野な発展途上の国・・・というのは。

 

おかげで「大学と文科相」のお下劣関係の騒ぎの方は消えてしまいました。

あとから理事長と学長が辞表を出したという報も入りましたが、まぁそれで済むワケがないですね。

文科相のその金配りのシステムもかなりいい加減ぽい事がわかりましたし、こういった事案がこれまで無かったのか色々と興味のあるところです。

 

それにしても西日本の豪雨被害は無茶苦茶ですね。

のんびりとサッカーを見ながらこのようなブログを記していることが申し訳なく思います。

こちら南遠州の状況は小雨程度で殆ど降っていません。

全ての自然災害に言えますが、地域限定で不公平なものです。

「どこでどうなるかわからない」ということなのですが。

慎重にして安全第一を心がけたいものです。

 

沖縄直コースの進路予想の出ている台風8号の勢力を見て驚きました。「猛烈な」クラスに発達するようです。予想では905hpsと。

以前も記したことがありますが私が沖縄にいたころに味わった最大の台風の通過時の気圧は915hpだったと思います。電信柱はポキポキ折れて、港に停泊している船が国道に上がっているような状態でした。

低緯度で味わう台風は一味違います。死をイメージさせますからね。

 

石垣で有名な今帰仁城(なきじんじょう)も先日来の大雨で崩落していましたが、今回の台風は市街地にも甚大な被害をもたらしそうです。ちなみに今帰仁城の画像はスナップ写真のプリントものだったと思いますが現在行方不明です。

見つかり次第できるものならば懐かしながらアップしようと思っています。

この台風8号の沖縄通過が10日としてその後の進路が恐ろしいですね。進路は西よりのようですが、どうなるかなどわかりません。雨雲を供給して前線を刺激しますからね。

それにしても避難指示があらゆる場所で発令されていますが、果たしてそれだけの受け入れ態勢ができているのか不思議。

 

さて「ふたごころ(二心)ない」の語は固い主従関係において特に「主」から見て気がかりなところです。

寛政譜の成瀬正義の件にもその語がありましたね。

「従」はその意を一心に汲んで死地に立ち回りその信頼を勝ち取ることに専念するものです。

それは何も主従関係のみではなく、当流蓮如さんの御文にも散見できる語でもあります。こちらは阿弥陀如来一仏への帰依(一向専念無量寿仏)を宗旨としているが故です。

 

先日、少々調べものをとその寛政譜を眺めに相良の図書館に行って見廻しましたがあいにくその所蔵はありませんでした。

一瞬驚きましたが、まぁ「そんなものか」と。

1530巻と膨大な資料ということと決して胸を張って図書館とは言い難い蔵書、箱の狭さそして予算の問題もあるでしょう、無理なものはムリなのでしょうね。史料館も同様です。

 

果たしてそれをお気軽に手に取ろうという方がいったいどれくらい居るのか、有効活用についても疑問となるでしょうが「図書館」を名のる施設ですからね・・・せめて纏めた活字版でもあれば有難いのですが。

寛政譜は歴史上登場する「家」と人物の系譜辞典のようなもので、基本中の基本です。ウィキペディア記述内容はまず殆ど此方から転記しています。

 

ただし何よりこれらは国会図書館からダウンロードできるサービスがあります。

以前その方法で資料を見廻したことがありましたが、今回は当初PCの不調があったということと、操作もそうですがモニターからの画像は結構に見憎いものがあって実際に書面を手にしたかったからです。

 

寛政譜のダウンロードはこちらから。慣れが必要ということとお目当てをどう探すかに関してはおまかせいたします。

(その後こちらを提供いただきました)

画像は先日記した寛政譜「成瀬正義」の項、本文。

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コメント: 8
  • #1

    河東村出身者 (土曜日, 07 7月 2018 07:08)

    国立公文書館の方を見ると干城録がありますね。https://www.digital.archives.go.jp/das/image/M1000000000000018924

    他にも成頼藤十郎さん関係は結構あるようですがー族でしょうか。

  • #2

    野村幸一 (土曜日, 07 7月 2018 11:34)

    こういった本にご先祖様が載ってるってのは

    いいなぁーと思ってしまう私です。

    野村のルーツがほぼほぼ終了して、他の先祖調査しておりますが、思わぬところから情報が入ってきて浜松の外波山姓の直系のみですが江戸初期の頃までの先祖が判明しました。手紙も出してみるもんです。
    そしたら、あまり有名ではないようですが俳優の外波山文明という人が遠縁にあたる人だとわかりました。

  • #3

    今井一光 (土曜日, 07 7月 2018 19:56)

    河東様ありがとうございます。
    「干城録」について初見です。本当におそれいりました。
    その資料は叔父にも連絡しまして。
    今後ブログでも記してみたいと思います。

  • #4

    今井一光 (土曜日, 07 7月 2018 20:06)

    野村様ありがとうございます。
    浜松の外波山は浜松に突出した苗字で元は鳥羽山と聞きます。
    勝手なこじつけかもしれませんが鳥羽山の城といえば二俣城とセットですね。
    鳥羽山城周辺の出自を連想してしまいます。
    歴史に関し色々と思いを馳せることは楽しいことですし夢がありますね。

  • #5

    野村幸一 (土曜日, 07 7月 2018 23:14)

    そうなんです。鳥羽山城との関連があるのでは?と思っています。外波山姓は浜松市の寺脇町に集中していて現在も数軒あるとのことです。合わせて鳥羽山姓も同じくあるようです。

    私のルーツにあたる外波山家の本家筋は明治期に天竜川を上って長野県の木曽へ移って行ったそうです。

  • #6

    今井一光 (日曜日, 08 7月 2018 01:16)

    ありがとうございます。
    家康が城を作るにあたって動員したグループでしょうか・・・
    もともと天竜川の河口近くにいた人たちなのか遠州統一のあとに
    平地に降りてきたのか、どちらが先かわかりませんね。その名のりも・・・

  • #7

    野村幸一 (日曜日, 08 7月 2018 12:06)

    由来などは全くわからないですね。外波山家の菩提寺の寳圓寺に問い合わせてもそこまではわかりませんでした。ただ、鳥羽山よりも外波山の方が主流のようです。

  • #8

    今井一光 (日曜日, 08 7月 2018 21:26)

    ありがとうございます。
    苗字は明治時代を通してその有り方がガラリと変わってしまっていますので
    それ以前を辿ることはできませんからね。
    あくまで参考というところで。