相良の夏のイベントいろいろ セネガル監督は紳士的

昨日は世紀の大恥試合を晒した日本のサッカー。

「肉を切らせて骨を切る」ではありませんが、目標をその試合の勝負ではなく、次の試合が「できる」という権利を得るための「ボール回し」に徹したというこれまで世界が見たこともないような珍事を現出させました

ちなみにこれまた「他力本願」(コロンビアにセネガルを負かしてもらうこと 相手次第の結末を待つということを連想させる)なる語が飛び交っていますが真宗の拙僧から言わせていただければその意味はまったく違うという事を付け加えておきます。

蛇足ですが「他」とは「仏」―「阿弥陀如来」のこと。

 

テレビを眺めていると「それでいいんだ」という肯定派揃いにはいやはや・・・です。まあこれも「オトナの事情」なのでしょうがねぇ。

視聴者迎合のコメントはサッカー界でのお仕事を継続させたいという意もあるでしょうし、テレビ局のそれで番組が作れてしまいますからスポンサー他お目出度い事情があるのでしょう。

 

そもそも昨日の交代選手の一人(危うくオウンゴールで止めの2点目を献上しそうになりました)には某社CMに出演していますのでサッカー協会のスポンサーとしての「なにか」、やはりそこに見え隠れするのはその手の事情(興行としてのサッカー・・・お金の世界)なのですね。尻を押している(カネを出している―投資―)選手には試合に出てもらいたいものです。

バックで協会に「この選手を使え」といった私たちの知らない無理が通っていないとは言い切れないでしょう。

 

結果的にトーナメントに出場するという栄華を得たのですから少々の「見苦しい」サッカーも結構であるというところなのでしょうが、海外からは「アレはサッカーではない」「次の対戦相手ベルギーにボコボコにされることを望んでいる」などと激しい批判が出ている通りです。

世界の目からは今の国内「ALL OK」の雰囲気とかけ離れているということだけは認識しなくてはなりません。純正スポーツの意義を少なからず壊したということを。

 

監督は「苦渋の決断」とか「不本意」という語を並べていましたが、いつでも勝ちに行く姿勢を捨てないという世界のサッカーの考え方とは明らかに違います。

まぁ今回の件であの「フェアプレーポイント」なる制度はきっと何らかの修正が加えられるかも知れません。

今後続いてあのような試合をされたのではFIFAの威信にかかわります。言い換えればそのフェアプレーポイントがアンフェアな試合に繋がってしまったという皮肉があるということですね。

 

すべてがすべて渋谷のスクランブル交差点で騒ぐことのみに意義を感じている方だけではないでしょうが・・・。

やはり厳然たるスポーツ(優劣をハッキリさせる勝負ごと)として「ちゃんと」して欲しいですね。

 

「お祭り騒ぎ」は社会の有効なガス抜きでお上としては許容度の高いものです。庶民に対してそのような「お祭り」の場を提供しかつそちらで日ごろの鬱憤を晴らしてもらえれば御の字ですから。

普段溜まったストレスのハケ口を為政者側にぶつけられるのは御免でしょう。

 

まぁそういう「祭り」の場といえば夏です。

これも驚かされましたが昨日は関東地方で「梅雨明けしたかも」のニュース。このまま当地も梅雨明けとなるのかはわかりませんがアジサイの季節の嫌いな私としては嬉しいニュースでした。しかし自然界の方も激しくぶっ壊れているような。

 

セネガルのシセ監督が「やれやれ」と日本の試合運びを見やっているように感じる図。

彼はコロンビアに敗戦、決勝進出を日本に譲ったのでしたが「不本意」などいうことは言っていませんね。

 

「チームの彼らの戦い振りは誇りに感じている。

我が国は決勝Tへは進出しない。なぜならそれに資していないからだ。フェアプレーのルールはどこの選手でも知っているし守らなくてはならない。

この大会とはもっと違う去り方をしたかったがもはやコレ(勝ち点同点、得失点差同点しかし今度新設されたフェアプレーポイントの差)を受け入れるしかない」等々。

 

見た目カッコいいのもあいまって次期日本の監督に招聘してはいかが、と思うのは私だけ?

 

予選3戦目は同時刻開催でしたので叔母さんの家から持ち出していたテレビを並べて楽しみました。

サッカー観戦はテレビが一番です。

渋谷路上に大挙される方たちの「結果」のみで騒げるというのは「若さ」なのでしょうね。

ただし息子があそこに行くと言い出したとしたら「やめておけ」と窘めるでしょう。