下らない 西から東への物の流れ 高槻富田三輪神社 

朝から殆ど一日中雨。

時にバケツをひっくり返した如くの酷い雨の時間がありました。22時近くには洪水警報が出たくらいです。

境内の落ち葉は外の排水溝に流れ出てキレイさっぱりの筈ですが・・・。

関西地区に降るこの雨はタイミング的にも気の毒なことです。

 

あの地震の当日は西宮の友人にはメールにて見舞い兼様子伺いをしたわけですが、実は震源地だった高槻に私がお世話になっている御年輩の方がいらして、どうしたものか案じるよりはと直接電話を入れて無事を確認させていただきました。

時折その「無事」の二文字について記していますがこちらは私たちが通常使用する「過失も事故もなく平穏な日々を送る」という機縁の事で禅語のそれ(無事是貴人・・・)ではありません。

ただただ単純に「何事も無い」有難さを稀有なこと、それこそ「盲亀の浮木」(昨日)の如くにそれを感じ入るべきなのでしょうね。

 

さて高槻は読んで字の如くケヤキの大木の事ですが、古くは高月(野身郷高月)から変化したといいます。

たまたまケヤキの大木を見たどなたかがそのように記したことからの変化でしょうね。

詳細は不明ですが「口と耳」主体の時代に文字の記述などは二の次でしたからね。どちらにおいてもあり得るお話です。

 

私はその親類の御先祖がどちらの出身かは知りませんが祖父のお姉さんで嫁いだ家が大阪の富田家。

現在の拙寺に架かる梵鐘もその鋳造寄進者として富田家が最大の寄進者となっていました。

「富田」姓の元はといえば「福田」と同様に米本位の経済体制の中でそれこそ美田・良田を持つ事が裕福と富の蓄積に繋がったということでその田を地名として誇示することからが発祥であることが推察されます。

 

ということで高槻市内の「富田」の地について。

こちらは淀川流域にあって水は豊富、やはり酒造りで名のある地で「北摂三銘酒」と呼ばれたいる様。「屯田」から訛ったともいいます。

他の2つは池田と伊丹だそうですがちなみに祖父の姉(12代目の次女富田鈴)の娘が池田家に嫁いでいます。「田」・・・「米」はやはり苗字にする基本。

「苗字」は苗の字と書きますね。

 

また、水と米とくればやはり酒とくるのが定番なのでしょうね。

かつて多くの酒蔵があってその繁栄の元寺内町としてあった富田の鎮守社ですがこの三輪神社が酒造りの神を祀ったといいます(場所はこちら)。

 

この地の酒は「天下の下り酒 富田酒(とんたさけ)」と囃されて

「銘酒」と呼ばれる品々を世に輩出しました。

「下り」とは淀川を下ってさらに江戸、関東に酒樽が下っていく事を言いその酒の流れを概して「下る」と言ったよう。

そしてイイものは「上方」にあるということでしょう。

一説に当地の銘酒に比べて関東の酒はどうにもイケなかったか「下らない」と評されたと言います。

 

愛知神社同様酒樽が奉納されています。

⑤画像のバックには大きなケヤキが。

この地も「清酒」発祥の地、奈良の春日大社の匂いがしますね。

 

最後の画像が昨晩になっての当地南遠地区に発せられた避難準備。奥方がぼそっと「この土砂降りの中お年寄りをどうしろと・・・寝てた方がいいんじゃね・・・」。一理あります。