外に出ないと・・・ 花はいいねぇ 石光寺の庭

週末からこの夏を想わせるお天気は一旦終了の様。

温度もドカンと低下して上着が必要になるかも・・・といわれていますので体調の管理が直近の命題となります。

奥方の母上も先日の「夏」からの急低下という激変によって現状「まったく声が出ない」となっての療養中とのこと。

 

油断による風邪と思いますがその「油断」というものは私にとって常々思う「あるある」ですので昨日記した座右の銘(「イイ加減」)の如くその一つに加えなくてならないほどです。

肝に銘じなくてはならないですね。

「ゆめゆめ油断あるべからず」何事も。

その結果、なんとか「無事」という果実がいただけるというものです。その「無事」こそがこれまた何よりの「仕合わせ」です。

 

どこかでも記していると思いますが当家で「口に出してはイケない言葉」があります。時折息子が使用したりしますがいちいち「それ禁句」といって面倒くさいながらも家庭内説教になっています。

その語は「平気」と「大丈夫」です。

 

人に説教するということはどうせ後ろから如来さんから

「お前はどうなんや ?」と声を掛けられているに違いありません。

そういう時つい心の中で「私は大丈夫です」などとつぶやく私が居るという大矛盾があるワケではありますが・・・。

 

その言葉は高慢ちきな語です。

「無」が「常」(無常)の世の中に生かされているのですから。

だいたいその語は時としてその逆(大丈夫じゃない)の状況にでも吐かれる言葉であってその裏には「もういいから(関わるな)・・・」の趣旨も含まれているかと。

よって私はその件「聞く耳をもちません」と会話を終了させる語でもあるように思います。

決して相手を「安心させる」言葉ではありませんね。

「平気」など言われるとますます不安でいられなくなってしまいます。

ということで当家ではその言葉は禁句なのでした。

 

先日の暑い日に、昼食でも・・・ということで母を連れ出しました。

感染症にかかると施設の皆々方に迷惑がかかるため上々のお天気の日にのみの機会ではありましたが、そんな(インフルエンザなど)ことの警戒など無視してでももう少しばかり外に引きずり出しておけばよかったと後悔しました。

 

ほとんど冬季の間、施設内の車椅子ですごしてもらっていたのですが、衰えが思いのほかひどくて「こりゃあ、しまった」でした。

車への乗り降りの際、大苦労してしまいました。

「なんでこんなに重たいのだ」ですが、腕がヘシ折れんばかりの重力を感じました。既に足がまったく体重を支えられなくなってしまっていました。

施設内の御担当者の苦労がほんの少しですがわかったような気がしましたね。

リハビリをしたとしても大けがをするかもしれないレベル。

 

母親は花が好きですが、この時期は色々な場所でちょこっと道を行くだけでも良き出遭いがあります。

また車椅子を押して施設のあるあの丘を登っていくだけでも確かに私のふくらはぎにとってよろしき刺激となってまさに一挙両得です。

 

①はご近所のお散歩コース。

花を見りば鼻を近づけて香りを味わいます。②~⑤は拙寺境内。⑥~は當麻「石光寺」の庭。

拙寺とは比べられないほど美しく手の入った庭です。 

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (木曜日, 17 5月 2018 11:05)

    おやおや 私の所の工場のバラではございませんか。
    何も手をかけなくても咲いてくれるものです。

    旅行、気をつけていってください。

  • #2

    今井 一光 (金曜日, 18 5月 2018 21:29)

    ありがとうございます。
    さきほど 無事に笑顔で帰還しました。

    あのバラは良く咲いています。
    コンディション抜群という意思表示の姿と思います。