24時間以上降りっぱなしという雨には閉口しますね。
せっかくの良好な季節が勿体ないというか、昨日は一歩たりとも表に出られませんでした。
恨めしいというか、もしかしてこういった天気が遠足の日に重なったとしたら・・・などと陰鬱な雰囲気もあいまってよりネガティブな事を考えてしまいます。台無しですからね。
しかし大昔に見た映画(「戦略大作戦」)のオッドボール(ドナルド・サザーランド)に怒られそう。
そんなこんなと一日中雨音を聞いて過ごしたのでしたが、その「楽観と悲観」について。
「あなたはそのどっちだ?」的問答が世にあるようですが、そもそも人間はどちらも持ち合わせているものですね。
しかし健全性を求めるのであるならば楽観対悲観50対50ではなくてやはりポジティブ思考の方が勝っているのがよろしいことは言うまでもないこと。だいたいいつも後ろ向きの考えの人説いたとしたら前に進めませんし物事にはリスクはつきものですからね。
その悲観論ではなくしてオヤジになって歳を重ねて来るとやたらと「否定」ネガティブ指摘ばかりになるといいます。
なんでもかんでもとりあえずは「同調しない」「一言言わせて」になるよう。
「守り」に走るという傾向なのでしょうが、そういう大人が蔓延ると若者が育ちませんよね。
若者の過激な前衛思想であっても笑って見守る度量が必要でしょう。
ただし守り一辺倒の不活性な若者たちが居たとしたらかないませんがポジティブといっても無防備な「暴走」とも思える「前向き」はダメでしょう。何事も中庸が大事。
リスク管理は悲観論と断じられる可能性もありますが、そういう意味でノーリスクの発想はイケませんね。
私の方は「半々」とはいえませんが80-20くらいで「どうにかなる」。傍から見れば「ノー天気」かも。
さて先般、有り得ないようなタイミングについて記しましたが、そのあとスグこれも滅多にないような機会に恵まれたのでした。
昨日は當麻寺には南大門ではなく東大門が仁王門であることを。そしてあの梵鐘が掛かる鐘楼の近く、境内を見回せば薬師門なる門があります。
不思議ですねその門の外はどう考えても寺の外なのですが、その門の向こうに薬師堂があるのでした。
見ると地元の人らしき方々がその堂の周りに。
当然私はその中に向かいます。
すると御堂の清掃ボランティアのみなさんの様。
御堂の中の薬師如来も拝観することができました。
もっとも薬師堂のみが重文指定になっているようです。
昨日は金堂まわりの画像を記しましたがその向かいには講堂があって両堂とも中には仏像たちにお迎えしていただけます。
曼荼羅堂と金堂と講堂がセットで500円は「お得」と考えます。
最後の2枚は図録より。
講堂の本尊の阿弥陀如来と金堂の四天王のうち増長天。
四天王はどちらも容貌はイケてますよ。これだけでも見ごたえ満点です。
拝観料全部見て色々遊んだとしたら・・・果たしておいくらになるのでしょう。先日記した宝物館は別に拝観料必要です。
折角ですからケチな了見は捨てて今一度確認してみたいと思います。
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小山昭治 (火曜日, 08 5月 2018 09:30)
そうそう 増長天など四天王をガラス越しでなくすぐ近くで見れるのが
よかったです。でも赤外線?で監視しているようで案内係がベルの音であわてて飛び出していきました。
年と共に若者を理解することが大事、ナンテ言ってもそうはいきません。
年寄りが出なくてはいけない場面が増えそうです。
若者が少ないのです。人数あわせでも年寄りが必要です。
出る以上意見も言うし、ぐずぐず言います。
それが必要だと思います。
高齢化社会だからこそ気持ちだけでも若く保つ。
年齢は人間が決めた数字、若さ、青春は自分で決める。
今井 一光 (火曜日, 08 5月 2018 14:02)
ありがとうございます。
世界が少しばかり違いますが私どもの世界では昔から年功序列の風があります。
大抵はそういった長老らしき人は逆に聴く耳を持たなくなってしまう傾向があります。
私が歳を取ってその長老の如くになるとは思えませんが、やはり年配者の意見というものは若者からすれば一目を置かなくてはなりません。
まぁそもそも私などは年配者からは「言う事を聞かない野郎だ」くらいのものだとは思いますが、時間が経過して次から次へと若い人達が出てきて一所懸命やっている姿には敬意を表したいですね。
私にできないこと、やってこなかったことを手掛けていることに対し私などは口を閉じておくのが一番です。
気持ちはいつまでも若い気は捨てませんが足腰が不安でならない今日この頃です。
スクワットで維持します。