南大門が無いのは洒落?最古の鐘と石灯籠 當麻寺

大局見地は弱者黙殺の原理と感じたのは「北と南」の終戦の件です。

急転直下、降ってわいたような「終戦」と核廃棄の融和ムードに喜ばない人はいないでしょう。

ただし散々無茶をやっていた北の大将に対しての半信半疑もそうでしょうがそれまでの色々をチャラにして許諾することに対して胸がつかえるほどのムカつきを感じている人たちがいることを感じました。

その南北融和ムードに対して反対するデモが起こったり北に向かってビラを撒こうとする人たちがいました。

 

南は「そんなことをされたらたまらない」「融和ムードに水を差す」ということでそれら反対意見に対しては公権にて制圧したというニュースが。

大局の見地からみて平和へ導こうとする雰囲気をぶち壊しにしようとする動きは止めようというものですね。

ある意味わかります。しかしあそこまでその「融和」に対して反感を持ち行動に起こそうとする人たちの原動力はおそらくこれまで抱いた、あるいは積み重なった怨恨だと思います。

 

それは弱い者たちが大きな流れの中に黙殺されようとする姿を感じてしまいました。

「ノーベル平和賞」の声なども上がってきている御両人ではありますが「南」としては「世界平和のためだからこれまでの北の振る舞いについては水に流して目をつぶりなさい」ということでしょう。

 

そうなると日本の拉致被害者の在り方というものの方向性もわかったような。米国のあの人も「平和賞くれ」とのたまわっていましたのでね。

「そんならヨシにしよう・・・」と言われたら元も子もないというところ。微妙です。

 

さて、どちらかで記しましたが奈良當麻寺は「伽藍配置が特異」。昨日も記した伽藍配置図を今一度見てみますとどう見ても変ですね。

通常のカタチではないということ。

創建当初からこのようなカタチであったのか不明だそうですが正面と思しき仁王門が「東大門」という呼称でいわゆる「南大門」が無いのです。

 

「東」と「西」の三重塔の位置の通りよく考えてみれば伽藍は二上山(西方浄土)を背後にお陽様の動きに沿って東に向いているのはやはり作為的でしょう。

洒落ですが「南が無い」といえば「南無阿弥陀仏」。

サンスクリットの当て字ですから関係無さそうですが、それでもこだわったのか・・・

 

画像②③④は鐘楼と日本最古といわれる国宝指定の鐘。

③の奥が東大門。正面からの図はこちら

なんと奈良時代前期(白鳳期)の代物と。 龍頭含めて153㎝。

 

⑤が重文の金堂。前の鐘楼は上記とは別。この向いに重文の講堂があってその向こう曼荼羅のある本堂に突き当たります。お目当てのやはり白鳳時代の日本最古といわれる石灯籠はこの金堂の真裏にあります。

ふっくらした面持ち、中台の装飾「八葉蓮弁」が大胆。

燈火を仏と見立ててその台上に座していただくというカタチでしょう。

 

最後の画像が法然さん。昨日の滅多にお目に掛かれない奥院の御本尊。奈良国立博物館の画像から。

法然さんは優しい顔です。