當麻寺行脚とぶらり奈良に決定 謙信アル中の件

何やらかんやらと各方面あいも変わらずお酒による人生破綻の件、溢れているようですね。そのお酒の失敗について「本来は違うのにたまたま深酒してしまった」と「酒のせい」にしているのか本性悪なのかよくわかりませんがあいも変わらずだということは確かです。

いずれにせよ「酒のせい」も「本性」も結果によっては許容されませんからね。

 

芸人・お役人の酒をアイテムにした破廉恥の件はことにニュースになっていましたが「飲酒運転をして事故を起こしたらとりあえず知らんぷりして家に帰って酒を飲む」という発想が被害者救助よりも先に思い浮かぶという風潮があるよう。

そこかしこでそのパターンを耳にします。

「保身」の最たるものなのでしょうが、飲んでいるときはきっと「自分は大丈夫」という風のあとさき考えないノーリスキーな無防備な楽観となるのでしょう。

その他、酒による人生破綻一直線については枚挙にいとまがありませんね。

 

戦国最強の武将とも言われることがある上杉謙信が49歳で絶命したことはその後の信長の覇権を早めたとか、もしかして天下を獲れたかも・・・などと惜しまれる人ではありますが、昨日のBS放送を見て少しばかりガッカリさせられました。

体型についても身長150㎝代後半で肥満系のよう。

 

その番組は上杉謙信が春日山城の厠で倒れて死に至った際の記述「中風にて・・・」を検証するものでした。

謙信については直江兼続をはじめとした各記述が残っていることから現代の医師がそれら生活感や症状から「糖尿病原発の脳梗塞」との診断がされていました。

 

糖尿病と聞くと、おいしい御馳走ばかりを食べてたと考えてしまいますが謙信の食事はごく普通だったでしょう。食材の豊富な時代ではありませんし。

では何故にしてその病が重篤化するのかといえば・・・彼は大酒飲みで有名な人でもありました。

 

何のことはない、そういった飲みっぷりならばそれを現代では「アル中」と呼びます。

年がら年中酒宴に「馬上盃」を片手に馬上移動中、戦闘中であっても酒を飲んでいたといいます。

ここで戦に勝つにはアルコールをひっかけるくらいの余裕とヤケクソが肝心?だったなどとも思ったほどです。アル中の毘沙門天なんて・・・怖くないですね。

そもそも酔っぱらいの御屋形様には付いて行けませんよ。

 

その酒とはいわゆる「どぶろく」ではなくて現代と同じ清酒(諸白-もろはく)ではあるものの超甘口で今よりも2.5倍ほど糖質が高かったとのこと。

ちなみに私が小田原に住んでいた、南町二丁目は通称「諸白小路」でした。酒屋さんは国道沿いにありましたが10年ほど前に姿を消しました。

 

今度の寺の奈良方面バス遠足には酒造に立ち寄っての試飲というスケジュールを入れていますが奈良といえば「清酒」が初お目見えした地でした(参考→菩提山正暦寺)。

 

お金持ち限定だったでしょうが本格的に諸白が飲まれ出したのは戦国時代というのが通説です。

また「どぶろく」では「アル中」にはなれなかったといいますね。それは「どぶろく」が作れる期間は限定的でありまた保存が効かないところにあるようです。

よって常時それを傍らに置いて酔っぱらい続けることがしたくてもできなかったのでした。

 

さて、そのお寺の遠足については既に當麻寺行脚は決定済みです。

ということで息子の休みにあわせて彼の運転で當麻寺まで下見に向かいました。

結論から言って選択は間違っていませんでしたが、多くのウリのある當麻寺のそのうちの1つ、「古来からの寺院の形態である、東西両層塔(奈良~ 平安時代初期建立の三重塔)が残っている唯一のお寺」ではあるものの、あいにく、あいにくと現在西塔が改修工事のために養生シートが掛かっていました。

折角の古刹でその有様は何とも興ざめとはなりますが、ここは開き直って他のイイとこ取りをしていきましょう。

何事もメンテナンスというものは不可欠ですから。

 

何よりも嬉しいのは京都奈良の中心部の無茶苦茶な混み具合とは縁遠いというところ。あとはお天気だけ・・・

 

2日目は恒例の自由タイムがあります。

御年配の方たちからはそれが不興だそうで、いよいよ参加者を減らしていますが、「自分の頭で、自分の足で歩きましょう」の推奨、そこのところまず引けないところです。

 

おんぶに抱っこのご旅行など勧められるワケもなく。

歩いて疲れておいしく食べられることの幸せというものを感じていただきたい。

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コメント: 4
  • #1

    クリクリ (木曜日, 03 5月 2018 00:49)

    謙信肥満アル中説はあてっているのでしょう
    しかし心の中では、石原裕次郎、石坂浩二、GAKUTOなんですけど

  • #2

    今井 一光 (木曜日, 03 5月 2018 08:50)

    ありがとうございます。
    私も同様、渋くて自己抑制のキレキレをイメージしていました。

  • #3

    小山昭治 (木曜日, 03 5月 2018 09:07)

    當麻寺へ入って左に写経の部屋があり一人の人が一生懸命しておりました。
    裏の庭もなかなかいいものでした。
    確か その当たりに宝物殿ほどのものではありませんが別室があり、
    いろいろないい品物が展示されていました。(写真を見て思い出しました。)

    未だに不思議なのはなぜに山伏姿の一行が當麻寺にいるのでしょうか。
    その方々は當麻寺の奥の二子山へ向かっていきました。

  • #4

    今井 一光 (木曜日, 03 5月 2018 09:53)

    ありがとうございます。
    あちらはたくさんの子院がありましたがすべて拝観できませんでした。
    山伏姿の方たちというと修験道を思いますが今はコスプレ風もありますから
    何とも言えませんね。
    ただし真言宗+浄土宗のハイブリッド寺院ということと本堂には役行者の像が祀られていましたがもともと二上山は修験信仰の道場だったといいますね。