愛知神社お隣の正覚寺岡村氏墓域と五輪塔残欠

昨日境内でお会いした方の最初の一声が「最近おかわりありませんか?」でした。

まずは普通の会話の如くですが、それは伏線。

今いたるところでその言葉と「警鐘」を訴えていると。

その方の苦痛の約半年間とこれからについて淡々と語られて、その日はおかげさまで命が繋がりここまでリハビリが上手く行っていることへの感謝とご挨拶に来たとのことでした。

私も以前と変わりない様子にまさかそのような大手術をされたとは信じられないほどの健勝を思う様子でした。

 

私と同世代の方ですがある寒い日に咳をしたことをきっかけに今まで経験したことのないような頭痛に襲われたとのこと。

2日目もその痛みがひかなかったために病院へ。

するとMRI検査の結果、脳の血管に瘤が4つも出来ていてその左側2つを処置し何とか元のように戻ったとの喜びです。

手術後の続く頭痛の酷さに歩行困難となる不安、そして気管支にチューブを入れる事から気管支が荒れてずっと声が出ない間があったとのこと。それらがすべて晴れ渡るように元に戻ったといいます。

 

30針以上の縫い跡から大手術であったことが推測されますが、今後残りの二つについての手術のタイミングを計るとのこと。

次は4つのうち一番大きい瘤への手術だそうですが、医師からは「難しい場所」と告げられていると。

次のハードルも無事超えてまたお参りに来られることを。

 

その方は自身苦難についてはあったけれども、瘤の存在が判明し何よりもそれが弾ける前に施術できたことに有難さを表していましたが、周囲には「早い行動・処断」を促すべくその経験談を話していると。

 

もし我慢強くその頭痛を放置していたとしたらいずれは血管が破裂して脳内にて出血が起こり深刻な結末を迎えなくてはならなかったのですから。

ちなみに2日目に手術の予約をして帰宅すると何故かピタッと頭痛は収まっていたといいますから、恐ろしい。

これは病気にはサインがあるということですね。

そのサインを見落とす(我慢強さとなぁなぁの気持ちによって放置)かしっかりとプロの判断を窺うかによって残りの人生が変わってくるというものです。

3日目に頭痛が消えていれば人はみな「大した事はなかった」と落ち着いてしまうものですから。

 

ここでも「積極的に聞く」ということが大切であることがわかります。特に「自分の事は他人に聞け」ですね。

現代の医療技術は素晴らしい。ただし早期発見、早期対応が肝要です。

 

今度の人間ドックに脳ドックのオプションを久々に入れようか検討中。毛細血管だらけの脳が何とかなってしまった事を考えれば安いものですね。

ちなみに私のその第一声への返答は「痛いところいっぱいありますが年相応でしょう・・・」です。

「頭痛薬今日も飲んでます・・・」からそのお話となりました。

 

さて、昨日は堅井之大宮軽野神社の祭礼について触れましたが、その神社のそれは結構に名が通っていてユーチューブにも数件upされていました。

その岩倉という地から東出→西出→目加田ときて岩倉川を渡った吉田の愛知神社についても先日記しましたがその真っ隣に正覚寺があります。

 

神仏習合時代にはお寺の一画にその神社があったような感覚だったでしょうが、廃仏毀釈の時代を迎えて完全に分離したというところでしょう。

 

近江に突出している真宗寺院ではなく曹洞宗のお寺です。

遠州では曹洞宗が多いものですがその逆ですね。

もっとも真宗は「一向専念無量寿仏」ですから神仏習合のならいはそうはなかったものと。

その近江に至っては多くないといわれる曹洞宗寺院ですがやはり檀家さんの数も「少ないので大変だ」との声が聞こえてきます。

 

こちらのお寺の本堂は昭和後期に焼失しています。

失火といわれますがそういった場合、どちらにおいても再建について頭を悩ませるものですね。

当時その再建に特に資金的にスポンサーとなったといわれるのが前総代の岡村氏。

 

代々に渡ってこの禅寺を支えていたという話が残ります。

②は愛知神社から見た正覚寺の鐘楼と小堂。この堂は焼失を免れて以前は本堂より離れた⑤の位置にあったとか。

墓碑の「岡村多内(たなえ)」は岡村家当主の名のり。

無縁墓と思われるものの中には古そうな五輪塔残欠が。