松月院釋尼妙春の墓 妙怡尼寄進梵鐘 上宮寺

財務、防衛と大臣様が日々毎度の如くテレビに登場して配下のお役人について弁解というか言い訳じみた何やらかんやらの件を伝えていますが、今度は文科相だそう。

最近になって私が俄かに訪れる頻度の上がった恵比寿駅近の「いかがわしい個室エステ?」とやらに公用車で乗り付けていたと伝えられていました。

 

公用車といえば前の都知事殿を思い起こしますがそういった個人のお楽しみはお休みの日に自分の足で行かなくてはいけませんね。学校の先生たちと私ども「文化」のご指導をする立場の方なのですよね。しっかりしてくださいな。

次回恵比寿に行った頃には超有名な店となっていることでしょうから興味本位に遠巻きながら覗いてみたくなりました。

本日以降、各放送局ではそのお店が如何なるサービスをしてくださる健康増進のための場所なのか大っぴらになるでしょう。

「健康増進」は大切なこころがけですからね。

 

 

聞くところによるとうすら気持ち悪い政治家と役人のオッサンが蔓延ってますますお盛んのさま。この国のお偉い様の破廉恥具合というものが世界に向かって大恥を晒しているように感じますが。

ただし「悪人正機」を旗印に掲げている当流でありその教えにある私がその破廉恥に文句など垂れる気はさらさらありません。大いに「恕」の気持ちであります。

 

しょうがないっすよね「人間」だから。多少のハメを外すこともありましょう。

また「世界に恥を晒した」としても私には「どおってこと」はなし。勝手にしておくんなさいまし。

 

また昨晩のNHK「クロ現」の「ゆうちょ銀行営業の悪どさ」にはお前もか・・・と思わされました。

これまでブログで他の銀行ローンや海外債券の購入と解約で顧客を食い物にする銀行の悪辣について記していましたがまぁ郵便局もそれらと同じことをやっているというのにはちょっとばかり驚きました。でもやはり・・・でしょう。

民営化するとそうなってしまうのでしょうね。

 

正確には「日本郵便」に所属する営業マンが動いているそうですが、要はお年寄の現在預貯金高を見て「やれる」とみたら保険(簡保)を押し売り、または解約して手数料を取っての再加入のやりたい放題の躰。保険の払い込み額が還付額より少ないという「変な保険」(被害者親族)だそうでかなりのインチキ商品を売りつけられたとお怒り様。

オレオレ詐欺並みのひどさ(番組では「不適正営業」とやんわり)。上から下までお年寄からカネを毟り取るを習いとする世の中には呆れ果てますね。

 

人は亡くなればおカネは要らない浄土の世界に参りますから所詮いくら大金を残したとしても無意味とはなりますが、年配者や病人の理解不能の状態からそれを巻き上げようという姿勢は世の退廃を意味します。

みんながみんな自分個人のためだけに動き出したというのがこの「現代」なのかもしれません。

たとえ「世の中にカネを廻さなくてはならない」という財務大臣のお達しがあったとしてもそれをやっちゃあおしまいです。

ここで恒例の一言

「油断のならない世の中だね~」。

 

さて歴史上「一向一揆」とは組織として比較的まとまった民衆蜂起でしたが、やはり為政者の無謀な行為に対しての民衆の反応ではあります。

特にその中でも若き頃の家康が遮二無二税の取り立てを強行したために民衆が立ち上がったというのが三河の一向一揆でした。

 

歴史的に俯瞰して、数少ない「家康の危機」の一つとして挙げられるこの民衆蜂起の結末は一般的に見て腑に落ちない曖昧な結末を感じる方も少なくないでしょうね。

それは三河一体に広がった真宗の教えが家康家臣団にあっても浸透し「主君と阿弥陀如来どちらを選ぶ」のテーマに対して阿弥陀浄土の教えを選択し、結果主君と槍を交えることをも厭わない風になったこと。

家中、各家においてもその二者に分かれるなど歴史的に見てあまり例を見ない戦闘状態になったのが三河の一向一揆でした。

 

そして家康の「恕」の精神が発揮し、分断された家中がそれによってより強固なものに変化していったのではありますが、傍から見ていれば、どう考えてもその殺戮の場がそう簡単に手打ちができるものかという疑義が起こりましょう。

一言でそのさっぱりさが三河武士団であって家康の度量の広いところがあったということでしょうが。

 

それだけ家康自身も「阿弥陀如来の法」に一目を置いていた故にその後の彼の各対応があったのだと思いますが、昨日記した上宮寺には今一つその一向一揆顛末に関わる伝えが残っています。一揆とはいえ無意味な同族間、同地域に住まう者同士の戦闘は結局は家康の差配もありますが、寺としての意義もあり寺側が折れて家康の勝利となります。

そこから一向宗禁教令が出て、またそれを真似る戦国大名まで出てくるのですが、家康はその時の「危機」の割には難なくその一向一揆を主導した寺と宗旨について恕の精神で対応します。

 

その思考に影響を及ぼしたというのが表記の釋尼妙春。

彼女の懇願があっての三河真宗再興があったのかもしれません。家康の家臣団への宗旨替えの強要もありましたが、その辺りの事をあまり強行に推し進めることはタブーであったことも察していたのでしょう。

家康にそのスイッチを入れさせた人が妙春尼だったのかも知れません。彼女の詳細は上宮寺の彼女の墓の前にある看板画像をどうぞ。