井伊藩邸跡は今の化け物小屋 素人無用 国会議事堂

一昨日は今年初、本堂の戸に閂を入れて昨朝の風雨をやりすごしました。

おかげさまで境内は無事のようでしたが、小堤山公園入口の民家の国道沿いに出張った看板が落ちていました。

人車ともに通行の少ないとはいえない道ですからきっと当事者は肝を冷やしたことでしょう。

 

地震津波は念頭にはありますが(現状「喉元」から離れて浮かれています)今度の新燃岳の噴火といい、時折やってくる暴風雨などまったく先は見えませんからね。自然というものは本当に怖い。

 

怖いといえばあそこの世界はもっとわからないことばかりでまさにおどろおどろしい。昨日の午後になってその関連を思わせるニュースが2件報じられていました。

 

当初、その日のニュースの目玉と思っていたのが例のトランプの輸入制限(鉄鋼等に25%の関税)の件でしたが、たて続けに北朝鮮とアメリカの首脳会談実現か・・・のニュース。

そのドサクサの中報じられたのがあの「モリカケ」のその一つ「森友学園」への国有地売却の件。

担当職員がお気の毒なことに自宅で縄に首を掛けたと。

 

遂に推理小説の如くになったものだと感心していると今度はあの佐川クンの更迭ばなし。

ちょうど1か月前にブログではそのとぼけたオッサンのことついて触れていましたが、こうなることはだいたい想像できたことでした。

ただ図々しくあの職に居ただけの感がありましたが、やっとこここでこういうカタチに収まったとはいうものの、まぁアベちゃんとしては幕引きを狙っての退場なのかもしれません。

観客庶民の感情としては次の「幕」も観てみたいといったところ。

 

スパイ小説や映画ではよくあるストーリーですが、失礼とはいうものの「知りすぎた者は消される」なんてことを想像してしまいます。もしそうならやはりおそろしい。

 

たとえ過労による心神耗弱からくる自死であったとしたら、それこそ官庁こそが今流行りの「ブラック企業」。

人の命ってものを軽く見ちゃあいけませんよ。

それにしてもあれだけ顔を売った佐川クンですが、日本国中の嫌われ者となってしまった感。

普通、ああいうセレブが退職となれば「天下り先は?」などと余計な事も詮索したくなりますが、どこの会社がお迎えくださるのか・・・マスコミの追求は厳しいですからね。

みっともなくて道も歩けやしないような・・・と人間としての最小限の生活を犠牲にしてしまった彼につい同情したくなりました。

 

さて、安政七年の雪のひな祭り、江戸城出仕、桜田門の手前で主に水戸藩を脱藩した輩の狼藉によって首を獲られた井伊直弼はどこから来たのかといえばその地から目と鼻の先の彦根藩井伊邸。数百mしか離れていません。

直弼は駕籠の中で致命傷を負ったといいますが、その状況を想像するに気持ちが悪くなります。

自由の効かない駕籠の中の鳥状態で「的」となりますし防弾仕様の駕籠などあるわけもないですから。

直弼の最初の手傷を負わせたのはピストル、その後動けなくなったところをめった刺し。

 

そしてやったもやられたも酷い結末を迎えています。

犯罪者(狼藉)は当然に主君を守れなかった井伊藩護衛の御付きの人々はそれぞれの立場における責を取らされることになります。

いったい誰が得をしたのでしょうか。

守るべきもの、それこそ己の命なのですが。昔も今も。

 

彦根藩井伊邸は今の国会議事堂の前庭あたり。

私ども素人衆庶民からは隔絶した場所です。

フラフラっと「井伊藩邸は?」などといいながら勝手気ままにうろつけばそれこそ「よってたかって」やられそう。

幸いにも沿道にその標が建っていますのでそれで我慢。

井伊邸以前は加藤清正邸だったとのこと。

首都高トンネルの頭上になります(場所はこちら)。