男やもめに蛆が湧き 女やもめに・・・ 「江戸城」石標

不確定な未来について語ることはできませんが、奥方との会話の中で「その時は私がお先に」とか「お開きに」との語がよく出るようになりました。やはり「焼が廻った」頃合いでしょう。

不確実とは言ってもそれは「時期」のみの誤差であって「生老病死」も確定事項ですしね。

 

このような仕事をしていてそれは嫌というほど知らされていますが、「確定」が分かっていても連れ合いを亡くすことは何よりも辛いことですね。

ということでそれなら「私が先に」という発想に結び付くのです。男の小ズルい希望で、あくまでもその方向こそベストであるというところですがまぁどうなるかなどわかりません。

 

しかしその「小ズルい希望」は昔から言い古されていることからでもあってまた現実に私が各所で眼にしている様子からも「まずはその通り」と思うところであります。

 

その言葉が

「 男やもめに蛆が湧き 女やもめに花が咲く 」

                        です。

また「男」に限定すれば「男やもめに雑魚たかる」という語もあります。「男やもめ」というものはネガティブ表現であり、女のそれはまずは「ハッピー」な雰囲気です。

「やもめ」は「お独り様」の事ですが、既婚者が急にその状態にひきづり出された時は特にその傾向となるよう。要は「ロクな事ではない」のです。

 

各「お荷物」をこれまで奥方任せにしている事は承知していますが、もし私の方が遅れをとればそれらを背負いこまなくてはならないというのも恐怖です。

そんな時は「若い嫁さんでももらって」など得手勝手な思考はもはや過去の事。

何より齢を重ねてからの喪失感は特に強いでしょうからね。

今さらながら家事(炊事洗濯掃除)などを日課にするのも辛い事・・・まぁしたたかに生きようという自信はあるにはありますが。

 

「如来におまかせ」は宗旨ではありますが「お開き」(後生の一大事)を念頭に置くことも重きを置く思想でした。

尚、この「お開き」とは「目出度い宴の終了」などに使います。真宗では浄土に行くことを「還帰」と記すことがありますが「環」=「廻る」の通り「焼き」も廻ってくること違いなし。

私はこの「お開き」という語の方がお気に入り。

 

還帰は元に戻るという意があって、通夜の提灯に「還浄」などと記されているものを目にしますね。尚、「忌中」は当流にない考え方。

しかし祝言婚礼等祝宴の際、そういうことと、「実家に かえる」というイメージを発するためその語は禁句となりますね。よって「退席 帰る時」は「お開き」を使うものですね。

まぁただの縁起担ぎでした。

私の場合は人生を祝宴と考えて「お開き」を使用したいということです。いやご一同様もそう考えるべきと。

 

さて、「江戸城」と言われても今更・・・の感があります。

どちらかといえば山城好きの私はそちらをのんびりと歩こうという気にはなりませんが(というか機会もなし)先般の如く何がしかの用事がある時は地下鉄には乗らずに内堀通を歩くようにしています。

久し振りにその通りの歩道からお堀越しに見た石垣とそのスケールを目前にすれば、やはり「城」というカテゴリーの中、ベストの部類に入るということを確認できますね。

 

その江戸城、その名を記す石標があるのが国立劇場の向かい、内堀通りを渡ったあたりに(場所はこちら)。

要は内堀通り上、新宿通り(半蔵門)と青山通り(三宅坂)の真ん中あたり。お向かいが国立劇場①②。

あまり大きくはない自然石で植え込みの中になりますから前を歩いていても見落とすかもしれません。

④は昨日記した崋山生誕地標識のある公園の外観。三宅坂です。

 

尚、内堀通りは通行量も多く車を駐停車することは無理。

八丁堀がすっ飛んでくることは請け合います。