浜松自徳院 変わりだね石塔 元は層塔か 不明

石塔にはオーソドックスな基本形というものがありますが、たとえば「五輪塔」や「宝篋印塔」のカタチです。

要は時代変遷による微妙な変化、国内東西の地域性、石質の違いはありますが、まず基本形があって、それからそう逸脱するものではありません。

一石五輪塔などミニチュア版などを除いて、一つの石塔のパーツはそれぞれ分けて製作されて積み重ねられます。

 

依頼施主があってその意を汲んで石工が仕上げるのですが、オリジナル性を出す場合は殆どの場合「装飾」に凝るワケです。

五輪塔の場合は基盤であったり各パーツの変化バランスを楽しんだり宝篋印塔でしたらより変化バリエーションがあって各パーツに装飾の彫りを入れたり格狭間を設けたりと変化特色を入れることができます。

層塔や石灯ろうも同様でスタンダードなカタチのこだわりはありますね。

 

ということで「奇抜な変化」は無いというのが私の考え。

時として色々な「変化」の推測をさせられる石塔と出会いますが、どうしても首を傾げたくなるようなカタチもありますね。

宝篋印塔と五輪塔がゴチャゴチャになっていたりする石塔と出会った時など、果たして当初のオリジナルなのか有耶無耶な気持ちが残ります。

 

それとは別に、本当に変わりダネと思う石塔もあります。

古い石塔となれば鎌倉から南北朝期は当たり前の如く残存していますが、それらですと600~800年は時代を経ているということで、その石塔を見てきた生き証人もイルワケではなく書物などへの記載があることは稀・・・

ということでその「時間」の中で何が起こったか、どういう扱いを受けたか・・・などまったくわかりませんから。

 

特に石塔の場合、トップに載せられた宝珠や相輪、空輪等の損失欠落はよくあることで、どこかの時点でそれらパーツが拝借、盗難されることもあったでしょう。

城砦や水路の石積みに流用するようなパターンもそこかしこで見られました。

地震の多い日本に於いて倒壊して欠損したであろう様相も各拝見しますしね。

 

それだけに完璧な姿で古い石塔が残っている例は珍しくまた美しさを感じるものなのです。

石質の違いから一見して追加造作の形跡がハッキリと判別できるものもあれば、似たような石塔からのパーツ取りを推測するものもありますね。

そういう場合は石質の同等のものを合わせたりする工夫があるとわかりにくくなりますが、明らかに大きさのバランスが変わって不格好なカタチになりますから「おそらく・・・」くらいの感じで疑いの目で見てしまいますね。

 

古い時代の改変追加もあれば、近年のものと推すものまで色々ですが要はパズル合わせの類。

とは言いながらも前述しましたように歴史が長いだけにすべてが推測ということになります。

 

浜松の北、自徳院(場所はこちら)にはバランス的にも年代的にも名品の部類には入りそうな石塔があります。

ただし、私の考えるにこのカタチには少々疑問に感じてしまいます。

あきらかに宝珠トップ部分の石質は異質で後付けの様。

ひょっとすれば近年のものか・・・とも。

宝篋印塔の隅飾りの立具合から如何にも古そうですが、その下の笠の部分2枚同一のものと考えると層塔(三重・五重・七重塔~)ベースの上にどこからか持ってきた宝篋印塔の笠を載せたのかとも・・・謎の石塔ですね。

 

④画像の如く歴代住職?の無縫塔(卵塔)並びに立っていますが境内境界線にキレイに沿って並んでいることだけでも近年の造作があったことがうかがえますね。

移動整理の手が入っているということですが、どう移されてきたかも不明に陥ります。

墓・石塔の部類を寺が引き受ける事はままあることですし。

 

また、お寺の掲示板の通り「恵心僧都」作と伝わる阿弥陀如来坐像の方に興味が沸くところです。

掲示板には南北朝期との記述がありますのでそうなると「恵心僧都」(942~1017)作ではないというところも。

むかしから寺宝の阿弥陀さんといえば源信さん(恵心僧都)と言うのが一番のステータス、拙寺の阿弥陀さんの御軸(こちらのどこかにあります)もその添え書き(江戸時代作成)があるくらいですから。

 

牧之原の心月寺前住職のコレクションが昨日(静岡版放映の)「鑑定団」にて驚きの金額が提示されていましたが実は拙寺源信筆阿弥陀如来の軸を引っ提げてその番組に当家の奥方が出演しています。

「偽物です」との判断がされましたが製作年代が古いということと如来さんの頭部に馬の毛が使用されているということでその珍しさからそこそこの値段はついていました。

ただし堂々とサイトではいまだ図々しくも「源信筆」と記しています。

 

「源信筆」伝承は日本国中に数有ることでしょうが実際にそれが確定すれば国宝級は決定的ですからね。それだけ「寺格」というものが上がるというもの(それは錯覚 お恥ずかしいかぎり)。 

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (月曜日, 19 2月 2018 09:38)

    どちらでもイイじゃあありませんか。ナンテ言うと申し訳ありませんが。

    心月寺の朝心さんのコレクションは未だ買い手が付いていません。
    「売れてなんぼ」の世界です。しかも今は倉庫会社で預かってくれてますが
    その後の保管は大変です。
    早く売れることを期待します。

  • #2

    今井一光 (月曜日, 19 2月 2018 11:37)

    ありがとうございます。
    前住職もその辺りの件、ハッキリさせておきたかったというか
    収集コレクションというものの儚さをこちらでも知りました。
    近親者といっても興味がなければ無価値であって処分するしかないですから。