宗教勧誘常套句「祟り」99%無し 目賀田の西沢姓

「ちっ また行けなくなっちまった」とまたも都心荒れ気味の予報に辟易として呟いたのは奥方でした。

天候と家事タイミングが合わず、叔母宅の整理がまたも延期になりました。

折角緩みかかった気持ちもこの南岸低気圧の通過で再び締めなおさなくてはならないようです。

 

昨日の2度目の法要は鬼女のたけ※さんのお宅へ。

満103歳のお婆さんです。

最近は御主人(本年33回忌)の事に触れ「冷たいなぁ」と。

「迎えに来てくれない」とボヤくようになったと言いますが

すこぶるお元気で私の不健全に嘆く自身の姿を反省し励まされたところでした。

 

飛び上がって驚いたのは、お茶菓子雑談のテーブルに着いた際、好物の「煎餅」をバリバリと。

その煎餅とは堅焼きのオーソドックスな円いタイプの代物ですが、普通この手の煎餅の場合「堅くて歯が立たない」と年配者は敬遠するものですね。

それを音を立てて・・・私が「凄い」と思うのは「歯」よりも「顎」の強さ。

たけ※さんを見て先日記した「女王卑弥呼のカミカミ健康法」を思い出しました。

「歳のせい」を理由に柔らかいもの指向に走ることは却って不健康を招くということを示唆しているようです。

ちなみにお肉は大好きとのこと。

 

実は南岸低気圧の通過を楽しみにしている人もいます。

ウナギの稚魚狙いの副業をしている檀家さん(勿論免許アリ)によれば「1回掻きまわされて即」の川が最高と。

ここ数日は寒い中で頑張っても「数匹」というのが続いているとのこと。

「1匹いくら?」と聞けば200円程度と。今のところ数日で「九匹」というので、「行かない方がマシでは?」と聞き返すと「少ない漁獲は承知の上、ライバル多数のための場所取り」の意味があるとのことでした。

何よりもこの低気圧の後の事を考えているようです。

 

いつか聞いた伊勢エビ漁をしていた方の談もそうでしたね。「海が荒れた直後狙い」は常識のようです。

それにしてもこの寒い中の漁は余程でなければ耐え切れませんね。今年のウナギは減少との声も聞こえますがどうでしょう。

世の漁獲減少騒ぎを横目に大抵は毎年それなりの漁獲量を挙げているとの噂のある当地ですが。

 

その方の「常識」についてもう一点。

今朝、法事に向かうに寺の近くで3人組の「菅山のエホバ」さんらしき女性グループが相談している様子を見ました。

「ご苦労な事で・・・」とそれを尻目に鬼女原に上がりましたが帰宅すると奥方が「忙しいのにまいった」とボヤきます。

要はそのお三方がお揃いで庫裏に訪れて「たたり」だの何だのと言い出したとのこと。

 

彼らには「優しく接してね」とは教務所辺りのお達し。中にはコーヒーでも出して話を「聞く」スタンスの大切さを強調される方がいらっしゃることはどちらかで記していますが、奥方の方はその件「御免蒙りたい」と。

 

その日は特に「たたり」的語彙を散りばめた一方的な話題だったようでこれまた奥方は辟易として「忙しいので帰った帰った・・・」と言い放ったと。

ちなみに「忙しい」とはオリンピック観戦の事ですね。

昨日辺りにそっちの方に興味が行かないというのもクールなことです。法要のあるお宅でさえ皆さん気が気でなく「今日は録画しています」でした。

 

その経緯をそのウナギ漁副業の方に話したところ「まだ、そんなこと(たたり)言ってんだ・・・」と感心。

昔からその「台詞」はよく聞いたそうでそれを「まだ・・・」といったのでしょう。

その「祟り」の概念は真宗門徒には皆無のところであることはもとより、詐欺的営業の殺し文句「みなさんも・・・」と同様の新興形宗教団体のお決まり文句なのです。

 

みなさま、そんなもの絶対にありませんからご心配はいりません。歴史的に見てそれは人間が自由に操るものです。

心をしっかり強く持っている人にはそんな言に惑わされることはありません。

 

そこでそのウナギの方、家にその類の方が来たら必ずいう言葉は決まっているそう。「うちはS学会員だから・・・」で「スグ帰るよ・・・」とのことでした。

まぁ体格もいかつい方ですので、普通に怖い顔をされればどなたでも尻尾を巻いて帰られるかも知れませんね。

 

そのお断り文句は当家では通用しませんが、在家の皆さんにとっては「案外イイかも・・・」と思った次第です。

S会系は結構に腰の据わった信心があると聞きますね。お相手も尻ごみすることでしょう。

 

何度かそのテーマについて触れていますがその感覚は人の弱い心に付け込むための営業トークの一つであることだけは確定しています。

未だその語が衰する事がないということはそれらの「営業」がまんまと成功しているのかも知れませんね。

そのテクニックはいやらしく感じますが・・・。

 

ハッキリ言ってそれは自分自身は(生老病死ほか)四苦八苦(人として生まれた故に逃れられない性)から「逃れたい」というエゴイズムそのものです。

まぁそれも煩悩といえば煩悩なのですがね。

 

「六字の名号」に護られている門徒衆の発想には微塵も「そんなもの」の類はありませんがもし何かのそれらしきものがあるとしたら私が一身に受け留めることといたしましょう。

 

尚、99%の残り1%の「それ」とはその言葉を口にする者自信そのものが何かに「やられちゃっている」のかも知れないということです(お頭の方?)。

私どもにはオカルトはお笑いであり、存在させないという阿弥陀仏オンリーの信心というものがありますので。

ただしそういう思想に落ちてしまった人たちも平等に助けてあげたいというのも阿弥陀さんの本願なのでした。

 

異論のある方はどしどしご意見をお寄せくださいまし。

その前に私から一つ質問させてください・・・・「祟りって何 ?」

にお答えくださりますよう。

 

画像は滋賀県愛知郡愛荘町目加田の光明寺。お西の寺です。

目賀田城に行けばこちらのお参りは欠かせませんね。

本堂には阿弥陀さんがいらっしゃることは当然ですからこういう場合、目的が違ってもご挨拶は欠かせません。

 

寺の名は勿論「阿弥陀の光で明かす我が心の闇」を。

この地は西沢姓がとても多い場所です。

その姓の発祥を「西方浄土」かも・・・と勝手ながら想像しているところです。