鴨川沿い御土居は直線的 秀吉の洛中惣構 蘆山寺

昨日はまさに酷い風、吹きまくりの一日でした。

夜間は雨が降りましたが明けてその夕刻には県内空気の乾燥と火災のニュースが入っていました。

ここのところ毎日のようにあちこちで火災が発生し、それぞれの場で人命が失われているようです。

年配者が住まう家屋の火災発生の件、ストーブ等の火の不始末について耳にすることが多くなりました。

 

火の不始末の件、私も時々ポカをやっては安堵するの連続ではありますがあれだけの風が吹きまくっている時は、軽めの小火では済ましてはくれないでしょうからね。漫然たる行動に自身恐怖をも感じます。

 

先日行われた相良仏教会の新年会の中で出た課題として、①フードバンクへの理解と協力②相良地区仏教会管轄地域での火災罹災家屋への見舞金についてあがりましたが、特に②被災については特に心が痛みますし、まさに他人事となれない事案ですから。

 

もう一つの新年会件、除夕の鐘のお疲れ様会での話題は「鐘」ではなく「カネ」の件連発。

そこで私も横やり、「年金は何時からもらうのが正解?」と振りました。

すると「(平均寿命は延びているとはいっても)人はいつ死ぬかわからない」。私も「それって坊さんの説法の如く・・・」と茶化しましたが、「よって支給開始を伸ばすのは得策では無い」というのがその場での見解。

 

要は「貰えるが花」作戦。

政府の「上乗せしますよ」の餌に乗せられて支給開始を遅らせ何とかそれまで生きながらえたとしても、体の方が動かなかったとしたらせっかくのお金を使うこともできないということです。

皆さん、おカネの件は切実。

低金利時代のその運用に頭を痛めているよう。

 

さて蘆山寺について中途半端に記してきましたが(2/11  2/10

1/27  1/26)あのお寺には戦国期の遺構を見ることができます。

それがいわゆる通称「御土居」、洛中惣構の土塁です。

これは秀吉による京都の改造計画の一つで、御所を中心にして南北に約8.5km、東西約3.5kmと縦に長い広大なエリアを土塁で囲んだというものです。

特に東側は鴨川に沿うように直線的でその河川が外堀と機能していました。寺町通に沿わせる寺々の東側にそれを設けました。

 

近世開発によって周囲の堀と土塁は殆どが消滅していますが、今も所々にそれと思しき地形が見られます。

そしてこの蘆山寺の墓域の鴨川方にその形跡をうかがうことができます。寺院墓地の境界を兼ねて存続できたものですね。

私有地でしたらとっくに消えていたことでしょう。

それも奇特な事ととして拝見させていただきました。

 

画像①②は御土居の石標。そして土塁を背にした墓石たちを並べてみました。