手に取るなやはり野に置け蓮華草 桑原富春軒 蘆山寺

これほど春の温かさを待ち遠しく思った年はなかったような。

毎度のボヤキですがホントのところ寒くて寒くてしょうがない。

昨日は2時間ばかりちょっとした外仕事をしただけて、冷えて冷えて・・・物置の屋根の天井にコードを配線するためのベースを固定したところでした。

前回はケーブルの重さと風で一発でヘシ折られての再チャレンジでした。

 

体が冷えると疲労度upup、頭も痛くなって睡魔まで襲ってきたため暖かな陽の入る場所で布団に潜り込んで昼寝をし何とか回復させました。

まるで凍死でもしそうなくらいの表現ですが、立てたハシゴが風で倒れそうになるくらいの強風下で神経もすり減らしましたからね。

 

パターンから言うと、あのまま室内でぼーっとして中途半端な居眠りでもすればまず風邪をひくことになったでしょうね。

葬儀やら法事を控えているため、自己管理をしっかりしていかなければいけないところです。

その手のことは何度もやらかしてみっともない思いをしていますが、声が出ない、咳でむせる・・・というのでは式が台無しになってしまいます。念のため葛根湯を飲むことにします。

 

先日も梅の挿し木成功の件を記しましたが今の私のハイビスカスのコレクションは殆どが挿し木で増やしました。温室内のベンジャミンもニッパツ本社ロビーのものからの挿し木です。

またミズナラは富士樹海から拾ってきたドングリから。

ホントはドングリでもパクってはいけない場所ですが、どうかお許しを。

最近は梅・サクラやミツバツツジなどにも趣向が移って色々苗屋で購入してもいます。それだけに春というものが待ち遠しくあります。

 

私はその世界には詳しくはありませんので多様な花々への愛着というものがありませんが、最近は各地で野に咲く山野草の盗掘に悩んでいるという話を聞きます。

中には絶滅が危ぶまれているものや、他人様が精魂込めて育てている植物をただただ自身満足のためのみに持ち出してしまう不届き者もいるそうです。

いわゆるドロボーなのでしょうが、山野草の場合、自然界ということもあってなかなかそのような犯罪イメージは沸いてこないのでしょう。

私が山城歩きをしていれば林道などに車を停めて年配の方が何やら「作業」を行っている様子はよくお見受けいたしますね。

私の通過にバツの悪そうな顔をされますが、私は適当に挨拶してその場を去ります。年配者に指図するのはおこがましいと遠慮してしまいます。

 

そこで表記の

     手に取るな やはり野に置け 蓮華草

 

江戸中期の播磨の俳人「滝瓢水」の句

小金持ちが遊女を身請けして連れ帰ることと野山に可憐に咲く蓮華草を掛けたもので、遊女は花街に居てこそ、蓮華草は野山に咲いてこそ「いろがある」ということ。

連れてくるのは野暮ということでしょう。「私の家やあなたの家に連れてきても似合わないでしょ・・・」と諫めたものです。

 

滝瓢水の号は「春斎」と言いますが 先日記した蘆山寺には 

「桑原富春軒」の墓があります。

彼は元禄期の立花師でそれは今云う生け花の先生のこと。

その時代は特に庶民レベルまでその生け花が流行したそうですが、それはあくまで「立花は宮,御門跡がたの手業なり」と苦言を呈したのが井原西鶴といいます。

やはり西鶴は花は切って飾るより野山の自然がイイと言っているのでしょう。

第一に、伐ってしまったら殺すことですからね。「いろ」のキレイは一瞬ですから。

人間には所有するという欲、独り占めしたいという欲があるということですね。生け花は「見せる芸」として発展しましたが。

 

本日は春の温かい日に訪問した際の画像が出てきましたので。