キリシタン墓石 京都国立屋外展示

先日も記しましたが当家の近場用の軽自動車はそろそろ10万㎞になろうとしてそろそろ更新の時期かとも思われます。

踏ん切りさえつけば「さあっ」という具合に後継車の選定に入ろうかというタイミングですが車検が来年まで残っているうえ機関はすべてがいたって好調、なによりまとまった金員を用意しなくてはなりませんからね。

 

奥方は消費税が上がる前に「何とかしろ」とのことで尻に火が付いたようでもあります。

何しろあの「あげるあげるお化け」は今度こそホントに出そうで、庶民の冷静な判断力を奪います。

いっそのこともう一回車検を通してやろうかとも・・・

 

もう数点問題点をあげれば私と息子は「MT(マニュアル)派」で奥方は「AT(オートマ)派」。奥方は税金にはここ目をつぶって高速道路が気楽な「軽ではない小型車」を考えているようですが、そうなるとミッションにすることによって当家愚息がレーサー気分を誤解して何かやらかしそうという不安も増長、だいたいその辺りまで会話が進むと話は行き詰まって、また次回は最初から。

 

さて、年配の方の運転による人身事故が立て続けに発生しています。

90歳過ぎの無免許事案に先日の85歳のお爺さんの事故まで。

85歳の方は事故のあとの聴取で「気がついたら事故を起こしていた」と話し、家族からの「運転をやめて欲しい」との懇願を聞こうとしなかったようです。

 

家族の切なる心配も届くことがなく取り返しのつかない「あってはならない」事案を自ら惹起させてしまったのですが、私はその件、まったく切実に考えます。

なぜなら常日頃ブログで記していますが「自分ほど信じられないものはない」からですね。

 

それほどの人間が年齢を重ねて、やはり今しきりに言われている判断力がめっきり劣化する75歳という年齢になったとしたら・・・果たして子供や奥方の「言い聞かせ」に素直に応じて免許証を返上できるのか・・・心底不安ではありますが、やはりこの心にはその時「自分はまだまだイケるかも・・・」という気持ちはあります。

 

自身信じられないクセに大丈夫というなど大いに矛盾していますが、それも私の心。その時はどうなることか・・・不安ですね。

今は一応素直に子供の云う事は聞かなくては・・・と思う所が大ですが私が見てきた齢を重ねたその頃の人たちときたら「100%」の大自信でもって「大丈夫」と仰っていますから。

 

まぁ大きな事故を起こす前に今迄無かったような軽微な事故を頻発するという前兆があることも事実、どう自分自身を客観的に見られるかですね。

免許証の更新システムもあまりにも機械的、もう少し科学的に事故を誘発しそうな認知度の低下を事前に指摘できるよう試験を開発して欲しいものです。

 

そういうこともあって私は奥方にはゴーカートの如くのオートマチック車はやめてクラッチ操作という微妙な仕事が付属するマニュアルトランスミッション車を勧めています。

手先で「D」に入れただけでぶっ飛んでいく車は最近ことに恐ろしく感じるようになりました。

齢を重ねたらMT車。それが自分と家族と他者を守る選択だと思っています。

人生の最終章に入った頃の刑事罰による収監は本意ではないでしょうし、被害を受けた若者と家族のケアは果たしてどうなるのでしょう。

 

この件、被害者側が免許を発した行政と運転を結果的に容認する格好となった社会の在り方についてそれはやはり「道義的」以上に問題提起はできないかもしれませんが私たちの「重い責任」と考えます。

決して私に無関係な話題ではないと思いました。

 

画像はキリシタン墓石。京都国立博物館の屋外展示場にあります。このタイプの墓石はそうお目に掛けることのできるものではありません。

なぜなら、切支丹禁教令の発令から大抵の墓石は破壊されたり埋められたり・・・幕府政権下に「あってはならない」ものでしたから。

私はその手の墓碑といえば思い出すのは尾張栄國寺のそれですがあちらの墓碑(切支丹塚)は供養碑でしたね。また島原市のサイトで同様の画像を見ることができます。

コメントをお書きください

コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (土曜日, 13 1月 2018 08:59)

    私の箱バンは213,000㎞の走行距離です。
    車は丈夫ですね。
    先日冷却パイプの水が漏り、修理しました。
    ゴムの部分の劣化でした。 ま 当たり前。
    その他は運転席のシートが破けている程度です。
    まだまだ 乗ります。
    洗車はしません。車のボディーは人間を守るためですから
    汚くてもいいのです。(タダのものぐさ)

  • #2

    今井 一光 (土曜日, 13 1月 2018 09:38)

    ありがとうございます。
    以前乗っていたパジェロの末期症状は各所に不良を生じ
    部品交換と出先での不能色々(命がけの部類多々)に閉口して
    買い換えました。とことん引っ張ってやるという意気込みで大切に乗りましたが
    出費に耐えられなくなってしまいました。
    最近は特に「その手の禍」には絶対にあいたくないという気持ちが
    増大しています。
    ドライバーの能力不足はこれから一層拙くなっていくワケですが
    せめて道具だけはまともが欲しいと思っています。
    それでも事故は起きてしまいますからね。難しいところです。