仏たちに背中を見られてる 押されてる 京都国立屋外

またご本山、東本願寺にて落書き事案が発生したようですね。 

 

御影堂の土台のコンクリート部分に意味を示さない一文字と長い線状のものが硬いもので描かれていたといいます。

意図を持たず「ただ衝動的」にやらかした愉快犯なのでしょう。

以前もあった渉成園の外塀の落書き(青のスプレー)と比べてどうなのかよくわかりませんが、聞く者の衝撃度からすれば軽微には感じますが。

 

本山はこれを警察に通報して今回の報道になったのでしょうが落書きをしたご本人はさっさと名乗りをあげて「ごめんなさい」をした方が良策と思いますね。

大規模施設では「色々ある」ことは当に承知していることで防犯カメラなどの解析をすれば大抵はどなたかわかってしまうでしょうし。

当然に原状復帰のための作業、工事が伴うことでしょうが、前回の落書き事件の場合は、器物損壊罪で逮捕された人を告訴しませんでした。

「やってしまったことは詮無き事」今後は「もうしない」ということと「ごめんなさい」がハッキリすれば「恕」の精神を発揮するのではないでしょうか。

その法律は「占有者が告訴権を有する親告罪」となりますので要は相手の反省度次第なのです。

 

まぁ何か思う事があってぶつける場所が見当たらず暴発しそうな時、寺にはもっともっと煩悩にまみれて日々悩みまくっている坊さんがいますので一声かけてみるのも一考です。

行動に移す前に話してみてください。スッキリしていただければそれが仏教。

 

ただしすべての行為が「恕される」とは限りませんし悪質極まりない不愉快な事案も私ども周辺でもありました。

 

昨年末のこと相良須々木の檀家さん宅はキレイな塀で道路の境界を区切っていますが、スプレーによる落書きをされてしまいました。

私はたまたまそのお宅の前を通過する際、工事改修中の様子を見ていたため何も知らずに「キレイになりました」と話しかけてしまいましたが、「酷い目にあいました」とその現場の無惨なる画像を見せていただいてからすべての事情が分かった次第です。

 

警察は周辺の防犯カメラの解析を行っているのでしょうしいずれは誰の行為かは知れるところになるでしょうが私が一番にショックだったのは、「この相良で・・・」という地域性でした。都会ではその手の事はまたぞろでしたがまさか相良でとは・・・。

 

拙寺の塀もある意味落書きのしがいのあるフラットなキャンバス風を提供しています。以前から「やられるかも」と皆さんに脅されていますが私はそんな時「相良にはそんなのはいない」と一点張りでしたので驚きもひとしお。

本当に油断のならないご時世となりましたがそのお宅のご家族の皆さんは精神的ショックもそうですがかなりのお怒りでした。

それはそれはその「怒」について、それも致し方ない仕打ちを被ったことは言うまでもないことです。何よりも年末の工事出費も突発的ですからね。

 

その手の事をやらかす者といえば「年端もいかない小僧の浅薄」というのが定番ですがこんなド田舎のケチな町の民家等をターゲットにせずどうせなら昼日中に堂々と国会議事堂の塀や銀座あたりでチャレンジしてみるのはどうでしょう(ただし自己の責任において願います)。

やはりチャリやミニバイクじゃあ無理か・・・

 

こういうことが続けばそこいらじゅうに隈なくカメラが置かれる時代となりますね。

むしろ「監視社会」は古き良き日本人の姿に回帰できるのではないでしょうか。昔の人々の不自由だと思うその根源は「監視」されていることにあったのですから。

私どもは民主社会の漫然に於いて「自由と自己表現」をどこかで履き違えてしまったのでしょうね。

本日も胸に手を当てて・・・と。

 

画像は最後の画像を除いて京都国立博物館の屋外展示場の仏たち。①②がお馴染み阿弥陀三尊像。平安時代の逸品といいます。④が不動明王に⑥が地蔵菩薩。

⑦⑧⑨が大日如来の石仏。最後の画像⑩は西明寺三重塔内の大日如来像