堀川寺之内通宝鏡寺門跡 人形塚 軽食とかき氷

昨日は今年の焼却場の受け入れ最終日。

ちっとばかし気合を入れて動いてから、地頭方の処理場に軽トラで向かいました。以前取材の方に簡衣輪袈裟のスタイルで、掃き掃除をするかどうか聞かれた事がありましたが、「アレは絵になるがウソでしょ・・・」と返答しました。

私はツナギ+ドカジャンに軍手といういで立ちはいつもの通りですから。先日はその姿で首にタオルを巻いて枝を剪定していたら久々に植木屋と間違えられました。

 

勝手にそういう習慣にしているからイケないのだと指摘がありそうですが、簡衣輪袈裟(当流道中着)の恰好の時、私は「襦袢+白衣+簡衣」の三点セットのみで、その下はパンツ一丁。

また草履は動きにくいので禅宗で作務といわれるような雑務は冬の場合はドカジャンが一番。

物乞いで来られる方に「お前じゃ話にならん」というような態度を取られたとしてもそれしかありませんね。

昨日もいつもの方が見えましたが私に「よいお年を・・・」と「超上から目線」で励まされました。

 

やはり参拝の方たちとはいつも同様「寒いね」の言葉の応酬があった一日でした。今年最後の墓参り、この数日みなさん「おかげさま」を欠かしません。

 

さて、京都の息子はそろそろ金欠病を脱するべく、新幹線代を新たに無心してこちらに舞い戻ってくるとの報せ。

池新田の叔母は「大学生だから3万じゃ少ないかしらねぇ」(お年玉)などとノー天気な事を言っていますので、年金目当てのくすね銭の小悪党はやってくるのでしょう。

 

まあどちらさんの正月の賽銭箱が一億円だの不動産経営に銀座で豪遊だのの景気のイイ話はここやかしこに聞こえてきますがそんな話はこちらでは異次元の事。何も羨ましいなどとの気持ちはサラサラ起きませんが、まっとうな人の心(曖昧!)というものは持ち合わせていただきたい。

 

息子の先輩の某は退職してその友人の誘われるままに不動産関係の仕事をするようになったといいます。

親は「地上げ屋と聞く」と言っているようですが、もっとそれには反対すべきですね。

私はその業界については少しは分っているつもりですが、御時節柄このあたりの不動産をいじくってカネになることと言えば・・・まず法律ギリギリの綱渡り。

年寄りを騙してハンコ押させるか、流行りの書類偽造のうえの騙り(かたり)しか思いつきません。

宅建を持たない営業など口から出まかせに違いありませんね。

 

ここでも「ラクして儲けたい」「大金を得たい」の風潮を見た思いです。まぁ若者に限った事ではありません。

石川五右衛門が「浜の真砂」と歌ったくらい犯罪の種は尽きるものではありませんし。

何事も法令順守だけは心がけていただきたいところ。

 

以前、息子とランチの件を記しましたが、京都の駐車場事情はあまりよくありません。

どこへ行っても車を停める場所探しは難儀しますが、実は彼の住まう一条戻り橋近く、いわゆる西陣と呼ばれる近くに密かに駐車場が用意されている店があります。もっとも軽食が主で「ガッツリ」というワケにはいきませんが、私どもは夏場に「かき氷」の旗に誘われて入店したのが始まりです。それが「田丸弥 堀川店」という店で堀川寺之内交差点にあります。

堀川店とありますのでどちらかにもその店はあるのでしょうが、私はこちらしか知りません。とにかく息子の家から直近で気軽このうえもない。

 

駐車場の場所はその交差点、一方通行の寺之内通を入ってスグ左。宝鏡寺門跡の手前、その名も宝鏡寺駐車場①になります。

この寺之内通界隈は読んで字の如くまさにお寺がズラっと並んでいますが以前記した妙顕寺はこの通の先に行った辺りにあります。

 

宝鏡寺門跡とは通称人形寺、百々御所。

後水尾天皇皇女が入寺して以来、尼門跡寺院となったとのこと。

それ以前は小川御所(小川第)と呼ばれる足利家の邸宅があった場所で足利義満の弟の満詮が二人の母の「北向」(紀良子)と住んでいたのもこの周囲、大きい意味での「小川」の御所と言われています。

応仁の乱の際に日野富子もこちらに逃げ込んで滞留しているそうです。

 

高貴な女人には人形が付き物。方々が亡くなったあとの供養にこちらに人形塚が建てられたとのこと④。