「鶴亀鶴亀」は果たして厄落しの呪文(桑原桑原・・)か

昨日の相良はずっと吹いていた風が収まってジャケット無しでOKのお日和。ちょいとお日様の下で動けば汗ばむほど。

奥方が東京に出ているということもあって大人しく境内にて雑用を。特に看板のベースの工作でしたが、榛原静波墓苑の看板がそろそろ更新しなくてはならない時期だろうと思い出し、昼過ぎに向かいました。

 

前回見た時とは違い、打ち倒されていましたが、修繕で間に合うだろうと高をくくって持ち帰りました。するとよく見れば朽ちまくっていて既にリペア不能のレベル。

それでは・・・と安上がりの看板作りの材料を思案していると・・・檀家さんのお婆さん(九十三歳)から「相談がある」と声をかけられました。

要は家族内で折り合いが悪くなった(特にアルコールが入ると酷くなる)というもので、この件何が原因か悪いのか心当たりがないと。

敢えて言えば庭の草がぼうぼうなのとお内仏の位置が北向きになっている・・・と言います。

よってひとつ厄払いの念仏をあげてもらったらどうか・・・というものでした。。

 

お勤めをすることはまったく問題はありませんがまったく根拠レスな件で少々困惑。ただしそれをストレートに言って話を終わらせることはいけません。

陽が陰りだした境内の残った陽当たり部分にベンチを移してお婆さんの言いたいことをすべて聞きました。

 

私にはその人も「いつかわかる」はずだから待ちましょうと言うに留め、いろいろな考えが沸き起こることはわかりますが、ご開祖はそれらの雑他な件に「念仏を申せば」改善するなどとはまったく言っていませんね・・・ということをサラッと、話を締めました。

 

お婆さんは誰かにその実情と心のうちなるものについて「聞いてもらいたい」「話したい」の一途の気持ちがほとんどのところ。

こういう場合は相手の立場になってひたすら「聞く」のみですね。最後に私の母に会いたいと言ってくれましたのでご一緒していただき自宅までお送りした次第です。

 

さて、昨日は上野のパンダフィーバーを嫌って東京行きを止めたことを記しましたが、それは絶妙の判断でした。

横浜インターの手前で8台が絡む事故があったとの報道がありましたね。7時50分頃といいますので向かっていたら当事者にならないまでも100%ハマっていたことは必定。パンダ様様。

 

そのように災難等を避けることができた時よく聞く言葉で「桑原桑原」と同じ言葉の連呼があります。おまじないの類のようです。

 

それと同じ使われ方で「鶴亀鶴亀」という語があります。

「鶴亀」といえば当流(真宗大谷派―東本願寺)ではお内仏の荘厳では当然、燭台の事ですが、それを当流的に言えば省略無し(大法要はコレ)の五具足バージョン(燭台一対)で左右並立します。

その思考から私はその「鶴亀鶴亀」の語を見て「なまんだぶ なまんだぶ」と危険回避できた感謝の気持ちが自然に出たように考えていました。

当流には「受け念仏」というものがあって感謝の気持ちが素直に「なまんだぶ」として自然発生的に出てきてしまう感覚がありますから。

 

世間様では「鶴亀鶴亀」を「縁起直しの呪い言葉」と解しているようですが私には「なまんだぶ なまんだぶ」の変形のように感じてなりません。

ということでそれらの使用は江戸初期にお西と別れたあたりに採用された真宗門徒でもお東の門徒に限定されてしまうことになりますが。

詳細は不明ながら、鶴も亀も長寿筆頭の縁起物であることは確かです。

 

画像は再掲。①②ともに三具足ながら鶴亀が。①は拙寺御内陣。②は在家。③は曹洞宗某寺院の御本尊。燭台は明らかに違っています。

 

「鶴亀鶴亀」は「お呪いの呪文ではない」に一票。