六波羅蜜寺の前身 鴨川辺 六原の西光寺

サッカーはみっともない試合で開いた口が・・・(韓国に1-4)。

フィールド上もそうならテレビ画面の前も「ヤル気なし」。

まぁそれが「力の差」ってやつでしょうが、これからW杯に行こうなんて意気などまったく感じられないという有様。

それこそクビ、代表総入れ替えと言われても不思議がありませんね。

お茶の間でぬくぬくとしながらああでもないこうでもないと得手勝手を言うのならまだしも、このクソ寒い中、おあしを払ってあんなものを見せつけられたそんな時は・・・、ただただ自らの判断を恨むだけです。

 

昨日の法事のあとのお斉のひと時。

ご当地の振る舞いには必ずといって出される「白和え」についての話が。

素材は各家庭によっていろいろでそれぞれの「母親の味」を娘たちが伝えているといったところでしょうか。

中には柿が入っているものがありますが基本的にほんのり甘い食べ物。しかしながらお隣の方は酒のつまみに三皿も盛っていました。

まず私もお皿に盛っていただいて出していただきますが、この10年、ようやく慣れてきた食感と味です。

 

この地では「当たり前」の出し物であっても実は私は約10年前にこちらに参って初めて知った食物でもありました。

その旨をお隣の方に言うと「修行が足りんな」と一言。

私は「コレをいただくのが修行ならラクなものですね」と即反応したものの内心「なるほど案外修行かも・・」と思った次第。

 

それから話が展開。同席者はなぜか御門徒さんばかりでお寺もそれぞれ存じ上げる近場のお寺の名が出てきます。

するとお酒がいよいよ回りだして「あそこの寺は」「あの坊主は」とお馴染みの話題の盛り上がり。

間違っても私の件、話題にもなりませんが皆さん方は「坊主の醜態」についての目はひとしおに厳しい。

というかその手の噂話は酒のつまみにうってつけ。

特に昨日は「あの坊主どう思う?」と振られた際は苦笑いしてこっちは口を塞ぎました。

 

ただ、そういうご評価があるということについて私もそうですが「耳を傾ける」という姿勢は必要です。

自らの「みっともない」「お粗末」について知らぬ存ぜぬを決め込む(見ない聞かない)ことが「みっともない」「お粗末」なのです。

仏道に「正覚」(無上の知恵、最高の悟り)という語がありますが「錯覚」ばかりなのが坊さんだったとしたらシャレにもなりません。

 

そういう場では私はいたって「良い子」にしています。

「そうですねぇ」「困りますねぇ」と合点連続の躰。

もっともな指摘でありますし自身の意見を曲げてみなさんに「迎合」しようというワケではありませんが・・・。

 

さて、昨日の五条通の続き。

立体交差を通過して1つ目の信号を郵便局手前を左折すれば方広寺や豊国神社となりますが、この交差点は右折も可能です。

立体の側道の混み具合によってこの交差点まで進んで清水方向に転回して東大路通に戻ることもチャレンジしたこともあります。

 

交差点を右折するとその区画は池殿町という古い地名。

町名は勿論「池殿」、平頼盛邸があった場所で頼盛の母の藤原宗子の通称は「池禅尼」。

平頼盛は平家中枢(清盛の異母弟)に居て源頼朝の許しが得られて生き残った人ですね。ということで源家に「迎合」したとあまりイイ評価はされていないようです。

ちなみにこちらのお隣の三盛町は古くは泉殿町と言って平氏長者の邸宅、「泉殿」があった場所。

現在は住宅地となってその面影はまったくありませんがその街区を抜けたあたりに六波羅蜜寺に行き当たります(場所はこちらまたはこちら)。

 

六波羅蜜寺の旧名は西光寺。

私の座右の銘としている「いかにも身を捨ててこそ」をいただいた空也さんの開基といいます。

ただし経緯は不明ながら「西光寺」と言う名(西方極楽浄土の連想)と阿弥陀信仰のベースを作った空也さんご縁の寺の現在のご本尊が十一面観音。首を傾げるところでもあります。

③近くの開睛小中学校。

 

 

①②は「池殿」と「六原」の文字。最後の画像が東遠の法事のお斉にはなじみの深い白和えと煮豆。画像はピーナッツの煮豆になります。

両方ともお土産にもガッツリいただきました。