「大澤寺八景」とは 小島蕉園による拙寺讃嘆の詩

「今年の冬は寒いらしい」という言葉が何度か聞こえてきました。勿論気象庁の長期予報が元ネタでしょう。

やはり「寒い」だ「温かい」などの言葉は当方懐の(財政状況)件ともリンクしていますので寒くなれば一層色々な面で痺れてくるものです。

石油関係の値はここの所上昇傾向で何でもかんでも昨年より値上げされています。必要最小限の出費を心がけたいと思うのが心情ですね。必要経費が増えてますます首が回らない・・・

 

政治資金規正法などの我が身を縛る法制は大甘にしておきながら、庶民からは税をガッチリ取るという姿勢にはくさくさしてきます。

先日ニュースで報じられていましたがパーティ券購入やら出費をカード決済にして、各支払い報告を信販カード会社の名を明記するという「手口」にはいやはやです。

コレって規制法逃れの「マネーローンダリング」でしょ?

大会社もまたぞろ有名どころがインチキが露呈、政治家がこのザマなら仕方がないことかも・・・

「どいつもこいつも地獄でもどこでも行きやがれ!!」と吐き捨てたくなります。

 

「節税」という言葉がありますが、叔父はそうは言いながらも不動産世界では殆ど「脱税」だと言います。

これまでの相続税、譲渡税等当局(☜コレの親分もうさん臭くて不信に拍車がかかります!!)の監視を厳しくするそうでこれまで通りの「節税」努力の結果、今後しょっ引かれる方々はまたぞろ増るような予感。 

 

さて、昨日は史料館(市教育委員会)の長谷川氏名波氏両名が拙寺に「おもしろいものがある」とやってきました。

それが昨日も記した小島蕉園が記したという軸装の書でした。

その存在については指摘されて初めて気が付いたのですが、すでに小島蕉園の「蕉園渉筆」について地元研究家の記した解説書に掲載がありました。画像①②。

 

地元の山本氏が当時所有していたことがわかります。

 

壓却三千界

摩天出彩霞

悠々神代雪

仰看神代雪         

      富士晴雪大澤寺八景之一       蕉園彜

と記されています。

 

私は「金沢八景」の近くに住んでいて「八景」といえば八景島・・・などとのイメージがありましたがコレを見て驚きましたね。「大澤寺八景」なんて凄すぎます。観光地の如くですからね。

その原本がお持ちいただいた③ですが、叔父の指摘でわかりましたが、誤解というか誤字がありますね。ということで正当な写しとは以下になります。

 

壓却三千界

摩天出彩霞

悠々神代雪

仰看日東花         

      富士晴雪大澤寺八之一       蕉園彜

 

3列目の「神代雪」を間違って4列目に記してしまったのとその八景の「景」は元は「勝」でした。まぁその辺りは「景勝」ともいいますし優れた「景色」であったことはかわりないですね。

「壓」=「圧」。三千世界に圧却してある・・・富士山の事

以下

摩天出彩霞

悠々神代雪

仰看日東花 ともすべて富士山を讃える語です。

要は晴れた日の雪を頂く富士山が如何に美しいかをうたったものです。

 

問題はあとの7つの大澤寺の景勝。

そして何故に散逸しているか・・・

この世のどこかにまだ見ぬ7つの景勝を記した歌が存在していると思うとどうしても「見たい」という気持ちが沸き起こりますね。残りの7つを指名手配したいところです。

ちなみにこの書は牧之原市史料館所蔵です。

明治~昭和にかけて拙寺の首が回らなくなった時、寺の誰かが売り払ったのでしょうね。

どう考えても拙寺のために小島蕉園が記したと考えても無理のないものです。

 

訂正と発見→20220326ブログ

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コメント: 2
  • #1

    野村幸一 (土曜日, 02 12月 2017 16:24)

    山本楽山とはどんな人物なのですか?どこかで名前を見たことがあります。

  • #2

    今井一光 (土曜日, 02 12月 2017 17:33)

    「山本楽山(吾朗)」は戦前戦中に活躍した地元歴史研究家です。
    昭和20年代に「蕉園渉筆」の読み下し文「新釈蕉園渉筆を限定100部製作しました。