鳥窠道林と白楽天 七仏通誡偈の語

「悪因悪果善因善果」は仏教法則の一流。

「因果の法則」のベースたる考え方です。

まぁ当方理解度としては悪因がたまたま善果となったり善因がたまたま悪果になっていると思われるような状況もままあるようですので一概にそれがすべて?と思わせるところがありますが、そこのところはあまり深く考えずに「そーゆーこと」ということで承っていただければという感じ。

 

それにしても大阪市のお若い市長さんがサンフランシスコ市に設置された銅像について「けしからん」と血相を変えてこれまでの「姉妹都市」関係を断つとの報は何ともケツの穴の小さい奴だなぁ・・・いやはや・・・などと思うばかりです。

そもそも「姉妹都市」とやらの両市関係の何かについて素人目にそうはメリットはないかと思いますが、敢えて思う事といえば(特別な)「平和と友好」の維持ですね。

それを喧嘩腰に市長の一存にて「やめる」というのですから。以前の事を推測すればその友好を画策してそれを締結のために動いた人たちの努力というものもあったワケですし。

 

そして親友と思っていた子が嫌いな子と付き合うようになったのでその親友と絶交を忠告するよう。まるでダダをこねる子供のようでもあります。

先方さんも色々事情があることでしょうしその辺りを斟酌してあげられないのでしょうかね。

どちらさんとも友好したいという気持ちもあるでしょうよ。

 

却って大事にして「都合のワルいこと」・・・「不都合な真実」をより明白にしたようなもののように感じますね。

そんなケチな振る舞いが日本人全体のみみっちさを吹聴しているようで・・・自己アピールや政治的宣伝行為でしたら失礼しました。

 

悪い言い方をすれば「目をつぶって任せておく」というスタンスが必要でしょう。

その件断絶の提示報道がなければ、こちとらそんなことなど知る由もなし。

ああみっともねぇ・・・まぁ・・・どうでもいいわいとも感じるところもあり。

 

コレも悪因悪果の例といえばそうかもしれませんが、先日ブログにてパラダイスペーパーについて記した際、詐欺収監中の被告人が言った「タックスヘイブンのシステムは絶対にこの世からなくならない」の啖呵は大いに当たっているようです。

こちらもまた「白浪」の「強請(ゆすり)騙(かた)り」の件、弁天小僧の有名な口上「しらざぁ云って・・・」の冒頭でそのあたりの人間世界の確定的様相を語っています。

 

「知らざあ云って聞かせやしょう

 浜の真砂と五右衛門が

 歌に残せし盗人の

 種は尽きねえ七里ヶ浜・・・・」

 

五右衛門が残した歌とは

「石川や 浜の真砂は 尽くるとも 世に盗人の 種は尽くまじ」。

要は海岸の砂粒がすべてなくなったとしても盗人の「種」はなくならないということ。

表現を変えれば「人間社会にワルの種(悪因)は絶対になくならないよ・・・」のメッセージ。

その通り、なくなりませんね。

マン島(タックスヘイブン)に飛行機リース会社を設立してその飛行機をエサに大手メガバンクから金を融通させて公判中だという御仁はまるで石川五右衛門にでもなったつもりでそのような語を吐いたのかも知れませんが、「貴方の余生」です。お好きに過ごされますよう。

 

かつてブログで鳥窠道林(ちょうかどうりん)と白楽天の問答を記したことがあります。

「鳥の巣道林」と云われる彼の居場所は木の上。好んで木の上で修業したことからそう呼ばれたそうです。

ちなみにその問答が気に入って私は知る人ぞ知るスマホのLINEの自己紹介画像で本堂北側の槙の大木の上でポーズをとっている姿をお調子にのってアップし、「木の上で修業中」などの意味不明なコメントを記していました。

 

白楽天に「おい危ないぞ」風に注意され、「お前の方も危ないぞ」で切り返して逆に説得(前回記したと思うので割愛)。

そののちの白楽天との問答が痛快でした。

その際の質問が「仏教とは何ぞや」でした。

すると有名な言葉「諸悪莫作(しょあくまくさ)」・・・「悪い事をしちゃダメ イイ事しましょ」~七仏通誡偈~である、と説きます。

 

白楽天は「コイツかなりのアホ・・・」と思ったかどうかは知りませんが半分呆れたように「そんなことは3歳のガキでも知ったこと」とポロリ。

そこで道林は「その通り。三ツ子でも知っているそのことを八十路の者でも生かすことは難しい (それが人間・・・)」

 

その件私は少々アレンジして法話では「有難うとごめんなさい」について。この件「三つ五つの子供でも知ってるが三十、五十のオッサンが素直に言えなくなっちまう」と。

 

もっとも道林は禅宗のお坊さん。

私は開祖親鸞聖人の云う通り。

所詮私は諸善は無理 悪にまみれた小心者。

弥陀に任せる他はナシ。

 

画像は当家に残る江戸期の文書「法幢法相鈔」。

仏教を簡略的にその触りを羅列したものですが簡単に道林と白楽天の段が記されています。まぁその件、フィクションであったというのが通説です。