平清盛、重盛親子の供養塔と大草氏墳墓 連城寺

昨日は出先でたまたまお会いした方の名が匂坂さん。結構顔見知りではありましたが・・・

その名からいろいろ推すこともあって興味の方向はお決まりのパターンとなりますが、おしゃべりが尽きなくなることがわかっていますので何も触れずにおりました。

するとその方から当ブログについての御指摘がありまして、それならとつい口が開いてしまいました。

 

匂坂姓は磐田を中心に広く広がっていますのでその家に伝わる「古い話」などを知っている方も少なく、大抵は「わかりません」という言葉が返ってくるものですが、その方が匂坂家に嫁いでからずっと義母から聞かされていた話があってそれこそが「ご先祖は高天神にいた」とのこと。

 

当ブログでも記した「高天神崩れ」の「匂坂」をご先祖に持つようです。

そちらには「匂坂牛之助 匂坂半之助 匂坂加賀」の3名の名がありますが、どちらかの家の流れでしょうか・・・。

 

その方にはつい突っ込んだ質問をしてしまいました。すると

①嫁入りして以来、母に連れられ毎年高天神参りは欠かしたこと

 が無い(代々嫁への継承を推測)

②自宅は旧浜岡の合戸(高天神城5㎞圏内)

③刀を捨てて帰農している

④家には古い土蔵があって何年も開けていない

 

という情報を得ました。

 

①などこれは伝承が生きていることの表れでしょうね。

私は④について、高天神城から出たあとの遺物の残存と古文書等の存在を確認していただきたくご主人に伝えて欲しいとお願いしました。また次にお会いする日が楽しみです。

 

さて、天竜川東岸の匂坂城から東の台地上をさらに東に向かえば太田川が削って作った平地があります。

太田川の西側の台地には新豊院山古墳群がありましたが、さらに太田川を下ってその西の三ケ野を経て東海道新幹線が交わる辺りから西に向かうとやはり古墳地帯があります。

 

一番有名なもので「経塚古墳(連城寺8号墳)」がかつてありましたがこちらは全長約90mで後円部径約54mの前方後円墳。静岡県内でも筆頭レベルといいます。

かつてあったということは今はないということですが、これはその東海道線敷設の際(明治18年)に削平されてしまったということですね。今となってはただ「勿体ない」と嘆くばかりですが今一つその古墳には不思議な伝承が残っています。

 

その古墳の頂上には平清盛と重盛親子の供養塔があったそうで現在は向かいにある連城寺に移されています。連城寺の本堂には清盛・重盛の位牌まであるといいます(場所はこちら)。

重盛が遠州国司に任じられた際、その際は遠州に下向していないと思いますが、3つの寺を建てたそう。

 

「連城寺」とその字面から見ると「城が連なる」でまさに遠州「城飼郡」などのよう連想してしまいますが、この「連」とは「蓮」の転化ですね。「草」を省略・・・?

この「蓮」の字は重盛の法名「浄蓮」からのもので、もう一つの「浄」を「城」にして上下ひっくり返して「連城」と結構安直でわかりやすし。そしてあと二つのお寺が連福寺と蓮覚寺でそれらまとめて「三連寺」というようです。

 

この「連城寺」のある単独丘には古墳群がありますが、その南側の墓域には清盛・重盛親子の供養塔があります。

彼らの石塔の近くにはこの地区で家康の10男頼宣の駿府藩時代に代官職にあった大草正家・正信父子はじめ大草家の墓域があります。大草家は代々こちら連城寺で檀家として続いているようで、私がこのあたりをフラフラしていた時はたまたま大草家の法要が執り行われていました。

 

あの五輪塔を肉彫りした板碑タイプの石標もなかなかいい感じです。大草氏は元は当地地名ともなっている「新貝家」を継承しているとも聞きます。名乗りは「太郎左衛門」。どちらにしろ古い家であることは確かですね。

 

航空図をみれば単独丘と東海道線が貫通したであろう様子がわかります。付近にはやはり古墳が点在しています。

 

①が平清盛・重盛石塔。どちらがどちら?わかりません。

⑨図でいえば左二つが正家夫妻。右二つが正信夫妻。

⑫いつもの残欠ミックスもの。宝篋印塔に一石五輪塔が乗っかっちゃってます。

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コメント: 4
  • #1

    河東村出身者 (水曜日, 15 11月 2017 20:01)

    まさに高天神崩れですね。古文書が発見されるとうれしいです。個人的には松下助左ェ門や武藤万休の書面だとなおいいですが。

  • #2

    今井 一光 (木曜日, 16 11月 2017 22:36)

    ありがとうございます。
    期待ワクワクですね。匂坂さんとの接点は本当に偶然でした。
    この地区、松下さんは「だらけ」ですし私の周囲に武藤さんは皆無です。

    高天神衆は三河系がいませんので真宗系は見当たりませんね。
    すると遭遇する確率は低いでしょうね。
    まぁ苗字を見て言葉が詰まった場合、大抵はそのネタになってしまいますが・・・

  • #3

    河東村出身者 (土曜日, 18 11月 2017 14:40)

    高天神衆で出ている中でも三河出身の家系図になっている家は、渥美、久世、丹羽をはじめ結構あるのですが、松下の大半を含め偽物の可能性が高そうです。関東に行って戻らなかった組も、戻ってきて紀州に行った組もあり、戦国末期から江戸初期にかけての人の移動は興味を引いてやみません。

  • #4

    今井 一光 (土曜日, 18 11月 2017)

    ありがとうございます。
    そうでしたね、三河だからといって真宗とは限りませんし、多くは改宗がありましたから。
    それにしても相良はじめ遠州に「松下」はつきもののように多いですね。