カメ先生と牧之原市企画「田沼のまちの屏風祭」

11日は報恩講日中。

境内には既に自前テントのフレームを建てたりでスタンバイOKにはなっています。しかし今のところ境内でお会いする皆さんが異口同音に口にするのは「お天気が心配!!」です。

天気予報は金と日が晴れで肝心の土曜日が雨の予報です。

憎らしい空の様相で少々ガッカリ。

拙寺は寺楽市を開催しています。その出展者の皆さんに品物の購入を期待されている方がいらっしゃいますので甚だ困っちゃいます。

 

さて昨日は朝比奈の行僧原にてお弔い。

この行僧原は約450年前に拙寺開基とともに石山本願寺にて信長とやりあって遠州に下向した一家、河原﨑家の定住した地です。近年になって池新田に降りて河原﨑→川原崎と字面を変えたり読みをカワラサキ→カワハラサキと変えたりして今に繋がりますが元は同じです。

 

都会では今ありえないことですがこの土地は「ご近所のつきあい」相互補完援助の態勢が強く残っていて、いざ葬儀ともなるとその動員力とヘルプの力は圧巻です。

おそらく私の知りうる一番の協力姿勢を発揮しています。

もっとも故人は河原﨑一統の中にあって、温厚・堅実(この一統の性格的特色はまずはそれで女性は特に優しい雰囲気を醸し出します)であって元は教師。そして平成二年に逝去されたご主人がこの地区ではその名を聞けば誰でも知っている通称「カメ先生」の河原﨑芳郎氏。

 

現在はアカウミガメ保護に環境保護などいう言葉は溢れて、その保護活動に従事するグループは駿河湾から遠州灘の各地にありますが、それら活動の大元となった方でした。

 

何せ現在では考えられませんが、先生の保護活動が始まった頃といえば、今よりもずっと産卵のために上陸するカメは多かったといいますが、子供達がそのカメを見つければ卵を掘り出してはピンポン玉のようにして弾ませたり投げたりのおもちゃの如くにしたり、海に戻り遅れたカメを見つければ上にまたがって遊んだといいます。

 

そこに「保護」の思想をもたらしたのが「カメ先生」でした。

行僧原の自宅には大きな水槽を設けて、成長の研究もされていたとのこと。アカウミガメの卵を保護して確実に孵化させるために御前崎下岬に卵の保管場所を設けるなど今の保護活動のベースを作った方でした。柵がカラスやハクビシン等の野生生物に襲われる事もあって夜間のパトロールも欠かさなかったといいます。アカウミガメの産卵は夜間が多いですから監視活動は夜になって周囲からは睡眠時間と健康について心配されていたとのこと。

そういうアカウミガメに人生を投じたカメ先生の奥さんということも周囲の皆さんが手厚く弔いたいという気持ちになったのでしょう。八十九歳という高齢にもかかわらず、多くの葬送の方々が参集されていました。

 

画像①「ウミガメ先生奮戦記」~アカウミガメを追って 御前崎小学校観察クラブの記録 (1981年)~に映るまさに放流されようとするカメの大きさからして、先生のお宅で育てられた個体であることがわかります。

 

画像②は「田沼のまちの屏風祭」ポスター。

牧之原市史料館2階で開催されます。

20点以上の地元縁の屏風が集合します。

入場料無料。9時~16時まで。

     11月18日(土)~11月26日(日)

 

以下の画像はブログアップ済みですが、再掲載。数年前は興味本位で懐中電灯片手に夜の海岸をブラついたものです。

今は到底そのようなガッツはありません。

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コメント: 2
  • #1

    クリクリ (金曜日, 10 11月 2017 01:14)

    私は、河原崎k先生とは一緒に務めたことがあります。
    ウミガメは、御前崎小学校では今でも伝統的に飼育を続けていますね

  • #2

    今井一光 (金曜日, 10 11月 2017 07:33)

    ありがとうございます。
    そうでしたか・・・先生は平成2年に66歳で逝去されていますので私は直接お会いしたことがありません(私が存じ上げないだけですが)。
    今、画面の中、バーチャルで何かを育てることが流行っているそうですが、
    現実の「いのち」と向き合って感情移入していくことの重要性を世の人々は認識しなおして欲しいところです。バーチャルでリセット慣れしていると現実世界でも躊躇なく「リセット」しようとします。