まぁ藤枝にはかなわないね・・・藤枝郷土博物館

先日ブログにて依存症について少々触れました。

何かに依存する当人は当然自覚してのことですから仕方がないといえば仕方がないと割り切るところかもしれません。

ただし今流行の「自己責任」を振りかざしてしまうのは同じ社会にいる者として責任が無さすぎ。

病気ですから治癒の方向に向かうべく周囲も当人も努力しなくてはならないのです。

 

私の知る限りその「病気」はかなり厄介で、まずは他者の意に「聞く耳」を持ち合わせずその依存を阻止しようとも試みればいたって狂暴化することが多々あります。

 

一昔前はというとやはり主人の家族無視の振舞いはいたって多くあってそういう場合も家業即衰退の憂き目などよく聞く話でした。一昔前の博打は現在のような出資法などの規制がありませんので、ゴロつきの高利貸しがハナから家と田畑を掠め取ろうと虎視眈々とその賭場を運営していました。

一夜にして当人は勿論、文字通り家族が路頭に迷うことになりますが、そんな時、世の中の風潮は「お父さんのやったことだから仕方がない」「何といってもあなたの父親だ」と説き伏せられて家族もろとも皆で力を併せて一から出直していくという美談を期待されたものです。

 

しかし今は違いますね。

一言で言って「そんな親なら捨てなさい」の時代のようです。

「親孝行」に縛られて子供も妻も早々に結論(捨てて夜逃げ)を出すことも選択肢に入れておくことがそれこそ常識であるというのが社会の流れのようです。

これは依存症の父親だけでなく、子供を親の支配下におこうと暴力で制圧しようとする母・父に対する子供のよりよい判断として推奨されつつある傾向のようでもあります。もっともそういう環境下にある子供は逃げ出せる判断ができるまでにある程度の成長を待たなくてはなりませんし、何らかの精神的ダメージを蓄積させてしまいますので、苦しい忍耐を課してしまいます。

 

子供たちの自殺願望の遠因のすべてが「親との関り」による何かであるというのは早計ですが、この世の中の若者たちの思考も私たちのいる社会もどこか「病んでいる」感が覆っています。

 

さて、画像はお馴染み藤枝郷土博物館の現在の企画。

神主の中村氏よりチケットを戴くことになっていますので報恩講が終了したら行ってこようと思いますが、ちょっぴり口惜しく感じました。

展示品に相良の某家所有の「高天神兼明」等三振りが出品されているとのこと。これらは既に佐野美術館に委託されている重要刀剣たちですが、無理はわかっていることですが、やはりこういったフェアは「相良でできないものかな」と思いました。

初日はイベントもあってかなり賑わっていたようです。

 

刀剣の場合はかなり特殊ですから独自のコネクションがないと役所関係だけの力では実現は不可能です。

相良には展示会ができるハコもありませんしね。

さすが藤枝、牧之原など何やってもかなわないと思ったところです。