堤城街道側出郭 松井氏五輪塔

トランプさん、窮地に追い込まれるか・・・

先日も記しましたが大統領選挙の際のロシア疑惑の線、いよいよ司直の手が入ったようで注目しています。彼は相変わらずツイッターで吠えているようですが・・・

 

アメリカ合衆国の大統領殿の権威は絶大で、クビにするには前途厳しいところがあるようですが一刻も早く退場を願う者として黙って傍観できませんね。

まあ決めるのはアメリカ国民、うまいことやってくださいな。

 

さて松井氏の堤城に関わる以前の事はといえば「歴史學研究會 」菊池武雄氏の「戦国大名の権力構造」~に詳しいというのですが、何せ入手できずに未確認。

 

小和田先生の「今川氏家臣団の研究 戦国大名今川氏の家臣団構成」記載の今川範国書状(建武四年1337  七月五日)

「山城国御家人松井八郎助宗申軍忠事」(土佐国蠹簡集-とかんしゅう-残編)によって松井氏は山城国の御家人だったことがわかります。

 

そしてその翌年一月二日に今川範国に

「駿河国葉梨庄(藤枝花倉)内田地一町幷屋敷一所地頭代職」の安堵されています。

そして永正十年(1513)に今川氏親より

「遠江国下平河事 

  右於当国別而依被走廻充行訖 者弥可抽忠節之状仍而如件

         松井山城守殿」

この段階で堤城が築城されたという説がありますが、元々何らかの砦・関等の施設はあった可能性はあります。

 

しかし昨日の如く「信薫二俣の城に移る」が翌年の永正十一年ですから松井氏の堤城在城期間は1年にも満たないということになります。

 

尚、昨日「寄親寄子(→ブログ)制の教科書的」と記したのは松井氏が在地密着型の土豪(地頭)ではなく守護(今川氏)の差配によって転々と領地を変えたため、その地元村落有力名主以下(寄子)との繋がりの弱さ、ベースの脆さはどうしても避けられないところで、それを補うシステムとして寄親と寄子は有意義だったということですね。

 

地頭は守護の配下は当然、その地頭の下の有力名主クラスも守護の配下と考えればスンナリ理解できるかもしれません。

これは三河武士団の結束感というものと比較すると、やはり脆弱感は否めませんね。

もっとカンタンに考えれば「選挙出馬の地盤」に似ていますし、地頭(店長)クラスが守護(社長)人事によってチェーン店に派遣されるが如く、お店の店員は店長の直接配下ではありませんね。

地盤の無い場所で立候補しても集票にも限界があります。

 

堤城に関して見ると以前は荒れていましたがここ数年来、整備の手が届いて、街道筋からも新しい掲示板が見えるようになりました。

最後の画像2枚、獅子ケ鼻砦が見えます。