岡崎城追記 軽便新岡崎駅

自画自賛と他者誹謗中傷の舌戦というまったく聞き苦しく苛立つこと甚だしいイベントが降ってわいたようにやってくるようです。大概またぞろ「手前の件、棚に上げ」の口先ですからね。

 

参加当事者はそれだけ「必死」なのでしょうが、アレって殆どバクチみたいなもの。一途に名誉とカネを求めて・・・というような感じがしますね。

どちらであっても「議員」さんは「1度やったらやめられない」と聞こえてきますし・・・。淡々と自身の「実現できそうな未来」を語って頂ければいいのですが。

 

地方(岩手県・北海道・大阪府で指摘されていました)ですが例の政務活動費に関してまたその使いみちの件、「爆笑」の言い種を耳にしました。

使い切れなかった活動費は自治体に返還するのが決まり事ですが、実は議員連盟でため込んで好き勝手に使っていたとのこと。

中には「文化芸術振興議員連盟」なるグループのどう考えても「どんちゃん騒ぎの宴会」の如くとしか思いつかない使途につき「お座敷文化の鑑賞と体験」なる言葉がありました。

この言い換え言葉、ウマすぎます。お座敷だけに「座布団持ってこい・・・」

 

衆議院議員は「今の半分にする」「補助金も給金も半減する」という国民にやさしく、己に厳しい公約をあげるくらいの気概がある人がイイですね。

末端庶民、そしてド素人の発想でした。

 

さて、昨日の岡崎城について追記します。

城址についてですが、国人領主の館のスタンダード(約100✖100m四方)とは異にすることから遠州陣取り合戦の布石としての意義が強かった風の事を記しました。

それは街道筋に面してその以前には伝承として四ノ宮氏の館があったことは十分に考えられますが・・・

 

本日の画像は北東方向からの城そのもののカタチ。昨日の図でいえば西郭の図になります。

①②③④の図ですが近年の道路拡幅工事等を無視して考えれば樹木の繁茂の具合からあきらかに切岸を思わせる外周となっています。⑤は④の先にある西側の木戸口に通じるのか堀切風登り口を上がったところにある茶畑から南の方角を見たところ。

右が馬伏塚城、左が横須賀城。この地区の平地は「浅」がつく地名が多く、湿地帯が西にかけて広がっていたかと・・・。

城の遺構を楽しむには神社社殿周辺、特に西側の空堀と掻揚の土塁があります。

 

⑥は東郭の東側になりますが、堀切を推測します。

この北側にもう一つ社がありました。

興味がある方は真冬の登城がお薦めです。「これは」と私が勝手に「画像映え」と思う箇所がありますが、荒れた城址の場合、「いったい何を撮ったかわからない」(ただの藪)という状況に陥りますので。

 

下図は「袋井と軽便鉄道」展から。

左側が新岡崎駅。右が市内に入った図でしょうか。