「尾三相州転遷之道場」正恩寺 忠隣の妻妙賢院

連休初日の法事は1件のみ。

後の二日間に法事が無いのは、既報の通り相良の暗黙、「祭礼の日に法事開催しない」からですね。

ちなみに昨日の法事は吉田町からでした。

朝から降雨はありましたが酷くもならず、有難くもお墓参りの際は雨も止んで傘いらずでした。その後もずっと大した雨にならず、御輿が行き交う様子はわかりました。

 

私どもは法要終了後ばったりと寝床へ。

夕方に目が覚めた時にはまた朝が来たような気がするほど、前日のハードワークの疲労感が際立って出ていました。

これは奥方の様相を東奔西走のうえ「七転八倒」とまで記したようにその「後処理」のそれぞれについて着手の検討を兼ねてたち回ったからです。

 

何も、いくら「姉さん」とまで慕っている叔母さんが亡くなったからといってそこまでヘロヘロに疲労するワケはないだろうと思われます。普通はそうでしょう。

しかしこの叔母さんは一人住まいで家族がいなかったのです。

何らかの理由で自宅で倒れてしまったのですが、たまたま約束を入れて会う約束を入れていた当奥方とその母親が第一発見者の如くの立場で救急依頼、聴取から検死、解剖そして搬送・葬送依頼まで2日間かけて回ったということと挙句は母親の入院というオチまでついたのでした。

 

そこで昨日記した施主代行の葬儀を奥方がすべてをとりしきって、終了後は遺骨を積んでから叔母の部屋の様子伺いに。

それはただただ立ち尽くすのみでした。

どうやって片付けよう・・・

その後私を引き連れて母親の病院に見舞って報告、そして実家の犬の様子を見るなど、色々を行ったということです。

まぁ借家ではないので時間はかけられますが、何せこちらから遠いというのがネック。

 

不動産屋世界のいわゆる「クリーナー」を依頼すれば事足りるかとは思いますが、高いですよ。ちなみに洋画に出て来る「クリーナー」は事件現場をあたかも無かったようにするか、遺体を片付けるプロのことですね。

 

叔父が言っていましたが、独り住まいの年配者が亡くなって相続権者の子供たち(三人)がその賃貸物件のクリーニング代金を「誰が払うか」で揉めた例を示していました。

その時は80万円の請求があったそうです。

最近はゴミ屋敷ブームというかその部屋を掃除する代わりに一部始終を放送するという番組がありますが、結構製作コストがかかってますね。聞くところによると持ち出すものは基本的にすべて無価値というか「ゴミ」で買い取りはなし。家具などは階上にて出しにくい場合は部屋でバラすそうです。

 

先日画像をアップしたエンディングノートはその叔母さんのものでしたが、結局得られるデータはなし。皆そこのところまでは用意するものの、死というものがそれほど身に迫っているなどとは思いもしていないのですね。みんなそんなものです。致し方なし。

 

さて、毎年9月のこの頃といえば台風に見舞われることはいつものことですね。

昨年の今頃小田原の正恩寺について記した際も同じように台風対策について触れていましたね。

 

真宗大嫌いの北条家の小田原にあっての大谷派の正恩寺は北条家滅亡後(文禄二年 1593)の建立であることを記しました。

石川家成(数正の叔父)の娘の妙賢院が夫の大久保忠世が小田原城に入ってから自身が帰依していた寺+僧をこちらに移転建立させたといいます。よってその変遷について「尾三相州轉遷之道場」というワケですね。

嫁が主人の宗旨には従わず、慣れ親しんだ宗旨を選択、わざわざ故郷から呼び寄せるというところが素晴らしいこと。今では考えられませんね。

 

当家奥方の母方一統は会津出身で「桑原」(桑は旧字「桒」)。まったくよく知りませんが会津には桑原という地もありますし、昔から祖母より「白虎隊ばなし」を聞かされたと言っていました。当初それを聞いた私は「佐幕」というところで親しみも抱いたものです。また父方は他宗派でしたが新家でしたので両方とも真宗に。拙寺にお招きしています。

私も他宗派の葬儀に赴くことがありますが、やはり真宗が一番イイというのは当たり前でしょうね。

 

画像は釋妙賢の墓。

水鉢の台か、丸に笹竜胆らしき紋(石川家紋)が。石柵に囲まれた木が目印。木の成長によって崩壊が進みそうな墓でした。