代々幡斎場 やはり古くからの荼毘所 玉川上水

私と同様にカレー食を続けて異変をきたしたのは「奥の墓道」氏。「ちょっと控える」と言い出しました。

といってもターメリック+黒コショウの調味料としての使用は続けるようです。

 

ここ数日「足の関節が痛くて顔がむくんできた」とのこと。

すると「カレー痛風でググれ」と言われて調べれば、カレーのルーは肉のエキスが詰まっていて栄養過多、プリン体も多く痛風が悪化するのは当たり前のよう。

私もここのところの体重upの原因はカレー食の連続以外は考えられませんのでクールダウン必定です。

週一くらいがちょうどいいのかも知れませんね。

盛夏の候はよかったのですがこれからますます体を動かさなくなる時節、カレーは肥満の元かも知れません。

 

さて昨日は東京の代々幡斎場まで。

帰宅は夜10時を回っていました。

とにかく境内の植木鉢を風当たりの弱い場所移動しようと息子にも手伝わせ奥方と3人で。

あの台風、なめてかかるとロクなことがありませんので、雨の降り出さないうちに・・・という作戦でした。

 

数日前のブログにて奥方の「東奔西走七転八倒」など記しましたがこれは、東京の叔母さん(奥方の)が急逝したためでした。

姉―妹の如く関係といってもいい付き合い方をしていました。

前日までメールにて交信があったそうですが、人の命はわかりません。

「朝(あした)には紅顔あって 

        夕(ゆうべ)には白骨の身となれる身なり」

などと蓮如さんの御文(5-16)の台詞を仰々しく御文の拝読やら法話などで触れることが多い私ですが、自身がそういう場に遭遇してやはり

「それこそ一定」(「地獄は一定すみかぞかし」)を思います。

 

体調絶不調(声が出ない)の私への導師ご指名は遠慮し、いい「機縁」と息子に導師デビューをさせるべく前日まで用意していましたが朝になって「熱が出た」と。

38℃オーバーでしたので同行を諦め結局私が導師ということになってしまいました。

そしてまた施主は義母のはずでしたがその件、奥方の「東奔西走七転八倒」の動きに終始リンクしていたせいか心身消耗でダウン。即入院ということで葬儀にも出られませんでした。

 

代々幡斎場には何度かお邪魔していますが今回は一番に小じんまりした部屋でした。斎場の八畳ほどの小部屋にはおそらく10人で限界くらいのスペースしかありません。

当初は誰も来ない(殆どといって知らせていないため)はずと思いそちらの会場を手配したそうです。

ところが7人も友人たちが集まったのには少々驚かされました。

奥方はここでやってあげて良かったと。

選択肢に相良ですべて済まそうという案もあったほどです。

それにしても超混雑のトーキョー火葬場事情の中、よくもこう早い時間(インターバル2日)にできたものかと驚きつつ感謝しています。

 

ちなみに代々幡斎場への支払いが20弱、葬儀屋さん色々が50でした。

こちらの斎場も桐ヶ谷斎場と同様に歴史は古いようです。特に渋谷の高級住宅地の火葬場という環境に驚くところですが元は江戸中心部からの辺地。最初に荼毘所があったところに次々と後から承知の上で住宅がやってきたのです。

 

代々幡斎場近くの玉川上水のあと。

橋の址がたくさんありますが、下には川流れていません。