高野瀬氏館 天稚彦神社 金田池井戸脇墓石 苗売

知り合いでそのスジに詳しいという方が淡々と力説されていたのが、「銀行カードローンのえげつなさ」。

その方の息子二人にも絶対にその誘惑に負けるなと報せているそう。そして私にも息子に念入りに言い聞かせるようにとのことでした。

 

何しろ「気軽にカンタン審査終了」との甘い誘惑を信用度NO.1の堅いイメージで通る大手の銀行がまたぞろ手掛けたために自己破産する人たちがどっと増えているとのこと。

 

サラ金規制によってサラ金は淘汰された如く姿を消しつつありますが、それに代わって借入枠規制の無い銀行が高金利(15%近い)でガッツリ儲けているよう。

 

ここで思うのが自己破産されてしまったら「元も子もない」と。しかし綺麗で堅く賢明な銀行様は抜け目のないウラ技を使っています。

 

私は以前会館をぶち壊して避難タワー件住居を「建てたとしたら」というシミュレーションをしたことがあります。3000万円ほどの資金を銀行借り入れしようとするものですが、担保だ保証人だめんどくさいことこのうえ無し。結局ハンコ集めだなんだかんだの雑用がアホらしくなって「や~めた」になったのですが、この低金利時代に銀行の対応は少々意外ではありました。

 

そうなんです。3000万円を貸し出してもこういう場合の金利はせいぜい数%。私が途中で夜逃げすれば残金回収は銀行が当たることになって厄介な事になります。お寺という不良債権の処分など煩雑でしょうからね。

ということで貸し出しのメリットはそうないのですね。

 

ところが100万円を30人に貸し出せば一人当たり15%のアガリが出たとしたら・・・そして何よりそのうち数人が「トンだ」としても、保証協会が肩代わりというシステムが出来上がっているよう。要はサラ金屋さん組織で構成する協会に丸投げしているのでリスクはゼロなのでした。

ということで銀行カードローンとはサラ金が銀行の皮を被っているだけであることを「知るべし」というところですね。

 

銀行関係者の言い分はまず「借りるヤツが悪い」といい、かつて自己破産した人が「貸すヤツが悪い」とも言ってましたがもはやどっちもどっちの感。

少なくとも無知な若い人が「どーぞ、欲望のままに」などという感じでカードを使って返済不能に陥る姿は見たくないですからね。

ちなみに自己破産して「貸す奴が悪い」と息巻いている方は何とかそのカードを手に入れるために日々チャレンジしているとのこと。正攻法合法ではムリでしょうが・・・尚、その詳細テクニックについては存じ上げません。

 

画像は昨日の中仙道周辺の図。

①は高野瀬氏の城館があったといわれる天稚彦神社(あめわかひこ 場所はこちら)。

江州佐々木南北諸士帳の愛知郡

 

肥田城主    佐々木籏頭      〇高野瀬越中守秀隆

肥田城  佐々木随兵 野呂田合戦落城良再降参ニ而

   籏頭ニ取被立然処天正元小谷ニテ討死 高野修理亮貞季

                     高野備前守

                      と。

早くから「楽市」が開催された地といいます。

 

こちらは百済寺からの流れが注ぐ宇曽川の東岸にあたり「澤」という字名があります。川が近くても枯れる時は枯れるのかと思わせましたがこちらには「金田井戸」という湧き水があったとのこと。「大字澤」の「井」と立ち止まって見れば例によって石仏たちがお出迎え。なむあみだぶつ。

井戸モニュメントのはす向かいには造り酒屋「西沢藤平商店」。酒は水が命ですからね。

 

昨日の江州音頭追記。その江州音頭は各地にまた変化しながら広がっていきますがその歌詞にはシャレもきつくなって政治を風刺したり面白おかしく俗っぽくなっていったものがありました。

阿弥陀経なる経典は浄土系宗旨では欠かすことができない経典ですがそれをもじって「阿呆陀羅経」という出だしで早回しの言葉遊びの如く語ったものがありました。

「ないない尽くし」などの言葉もありますが、昭和初期まではあったという「苗売」の口上をもじった「ない」の羅列は天保改革期の「倹約」風潮を風刺したものといわれますが、要は「不景気ですべてがない」の感。現在と通じるものがあったりします。

 

『苗や苗や苗はよしか~。

初物の茄子(なすび)がない。隠元豆のもやしがない。

白粉(おしろい)あんまり塗り手がない。

浄瑠璃新内寄場がない。女所帯はおきてがない。

抱えた子どものやり場がない。地面も値下て引合ない。

船宿一人もお客がない。屋敷も町屋も普請がない。

職人仕事渡世がない。書色下れど買手がない。

世間にねっから銭(おあし)がないから仕方がない。

商売替には元手がない。賽銭少ない、札売れない。

のらくらごろつき居所ない。御上は改革おひまがない。

 

この筋御慈悲の種まけば、やがてみのらぬ事はない。』

 

最後の一節にすくいがありました。