その悲劇が無かったとしたら有る事無し 法然さん 

人の人生など、どう転ぶかなどはわかりません。

後悔というものは尽きえないことは承知していますが、人という者まずは過去の失敗についてとやかく引きずって考え続けます。

考えても仕方ない事、永久に解法などないことも頭を抱えて眠れない日々を送ったりしますね。

 

人間はまぁ、自分中心、自利主体に動くものではあります。

今風の顕著な言葉を借りれば「自分ファースト」なのですが、あの大統領が吹聴する国レベルでのそのキャンペーンもどきのものとは違って、個々の人間にとってある意味仕方ないことです。

 

自分が可愛くないなどという人間がいるわけがないのですから。

時として「自分が嫌い」等々の感情が行き過ぎて自ら命を絶つなどという人もいますが、その根底には他者との比較があって「可愛い自分」の存在が危うくなった、あるいは存在意義の喪失感の熟成がその感覚に至らしめたということはまず相違ないかと思いますのでやはり本質は人は皆自分が可愛くて、自分第一に考えるものだと思えます。

 

名声であり富であり何かを得ることによって達成感がありそれを祝福したりこれからの人生の後押しにしたり好きな自分にご褒美をあげれば励みとなってまた走り出す機会になることもありましょう。

 

そこで「過去の失敗」について。

これからの残りの人生に於いて失策の無きよう生きるにその「失敗」の積み重ねは有意義に生かすことができるのですが、その軽重にもよりますがその致命的な「あやまり」とは兼好法師にいわせれば、こういうものでした。

徒然草49段はトイレの扉に掛けている私の好きな言葉です。

 

「老来りて 始めて道を行ぜんと 待つことなかれ」

 

ブログでもかつてどこかで記していると思います。

文意は仏道についてですがまずは、思いついた良策、良案も「まだいいや・・・」などと後回しにしているとあっという間に年を喰って「手遅れ、やらずじまい」になるといった意味でしょうが、兼好法師は詳細にそれがどういうことか記していますね。            

 

「あやまりといふは、他の事にあらず、速かにすべき事をゆるくし、ゆるくすべきことを急ぎて、過ぎにしことの悔しきなり」

 

どうでもイイことに心血を注いで、スグに着手すべきことを後回しにするなどまさに「愚の骨頂」と思われますが、我に返って見ればまさに「それって私の事」と思うばかりです。

世にいう「過失」とはこの字の如く「過去の失敗」と意味すること大いにありますね。

そういえば「過失や誤り」といえば決まって「どうでもいいこと」・・・「余計な事」に夢中になった結果ですね。子供の頃から親たちから「余計な事するな」とどやし続けられていました。

 

さて標記親鸞聖人の善知識「源空(法然)」さん(正信偈では源空)が比叡のお山にあがるきっかけとなったのは9歳の時(幼名勢至丸)、武門にあった父の漆間時国が紛争に巻き込まれて討たれたことがきっかけです。

父が死に際に発した言葉が「仇討ちは無用、出家しろ」だったというのは有名な話。

武門の家では父が討たれれば子がその敵(かたき)、相手のクビを取り返すというのが一般的思考です。今でいうスポーツ選手が口にしたがる「リベンジ」というヤツですね(私はその語に嫌らしさを感じますが)。

 

それができないと臆病者、弱虫、負け組などと罵られて世間様に顔向けができないということになってしまいます。今川氏真がそうでした。

それを法然さんの父親は敢えて子に出家を望んだというところが凄いのです。

当時武門の者が「出家する」ということは「棄てます」の宣言ですからその対価として「命は拾える」ということですので子供には生き続けて欲しいという父親の願いがそこにあったのです。勿論仏門に入るということは人のために尽くす(利他)という願いもあったでしょう。

 

その父の「速やかに」すべき子への指示だったわけで、そのおかげがあったからこそ浄土宗そして浄土真宗へと「お念仏」が繋がっていったのだと思います。

 

画像は知恩院にて。