ざっと知恩院墓域 変わりだね多数 江戸期の石塔

昨日は午後になって大和市在住の義母より引地川が溢れそうとのメールが入りました。

引地川については先日私が勝手にかつての川の大氾濫を示唆する名であることを記したばかりでしたが、当地は雨に関しては「まったく・・・」のような天気でしたから、そんなこともあるのかと半信半疑ではありました。

 

まぁ引地川に面した義母の家は事なきを得たのですが神奈川県内の豪雨の状況を報じる画像を見てなるほどと思ったのでした。

のんびりしながら夕刻のテレビを点けたのですが例によって静岡の「雨域は国道1号線沿い理論」(私の勝手な)の通り、島田あたりから三島まで結構な降雨があったそうで東海道新幹線も一時不通になっていました。

 

日没後しばらくして強めの雨が30分ほど当地に降りましたが「恵みの雨」のレベル。

夕刻に水やりをしていましたが、意味がなくなりました。

まぁ他の植物には絶好のおしめりだったでしょうから・・・。

明日は鉢等に溜まった水をひっくり返すことを忘れてはいけません。蚊にとって絶好な環境を提供することになります。

 

太平洋上には捨てておけない大きさの台風5号が迷走していますが、予報では九州地方への進路も浮上してきました。

空振りになったとしても「OK、OK」と割り切って避難等早めの対応が求められます。「無事」が何よりです。

 

さて、知恩院の「東山山麓」とも形容してもいいようなもっとも寺域奥まった場所に江戸期の墓地が並んでいます。いわゆる知恩院の下の方は観光客が大挙して押し寄せていますが、こちらの墓域をうろつく輩はそうはいませんね。

 

よって無縁墓も多そうで(まず参拝の形跡はなし)五輪塔でも頭(空輪)が欠落していたり、2個重ねられたり、管理整備の手もなかなか入れられていないという雰囲気がします。

中には「廃仏毀釈のどさくさ」を思わせる⑥画像の「石仏の首」の欠損の図にはこのような大寺院であってもその手の不届き者が出現したということかと驚かされました。

 

あの時は息子同伴だったため、墓石たちへの集中もできず殆どお散歩レベルでした。

ただし古くてもせいぜい江戸初期の墓石ばかりのようにうかがえます。

酒井忠次夫妻の墓域はこちらということになります。