たまたま 行信を獲ば 遠く宿縁を慶べ

「あっという間」などと記せば(昨日)とめどもなくその「刹那」を感ずるところ大なのですが、母親のお世話になっている施設を見渡せばまたそう感じます。

 

母の部屋は個室になりますが、普段はグループでの生活です。

母の仕事は「大人の塗り絵」です。

いろいろとその差し入れされたバリエーションがありますが原紙を使用していてはそれでおしまいになってしまい非効率ですので私はコピーします。ケチですね。

 

こちらとしてはどうでもイイだろうという感じで「ホレ」という具合に数種のコピーを大量に置いていきますが、当人としては飽きもくるというわけで、最近は仕事が進んでいないようです。

同じネタにただ色を付けるだけの連続ですからいくら何でも可哀想でした。

 

母のグループはここのところ2名増えて現在10名。

あと1名は母以上に塗り絵の上手な方がいらっしゃいますが、他の殆どの方は何もせずに机に突っ伏しているかブツブツ何かをしゃべっている、あるいは入所したばかりの男性などは大暴れして周囲を罵り続けているような様子。その方は最近はめっきり大人しくなって座ったまま寝ているようです。

 

暴力的な方は入所継続が不可能となりますのできっと家族の了解を得て、鎮静を目的とした投薬があったのでしょう。

本人の尊厳を考えれば寂しいことですべての人たちが不本意ではありましょうが、こればかりは致し方無いのかもしれません。

ここに私は「正解はないな・・・」とも。

 

そしてまぁ私の勝手な目立てで甚だ失礼なことではありますが、殆どの方はアルツハイマーを発症しているよう。

ちなみに母親の脳は萎縮がありませんので今のところその病への進行は無さそうですが・・・。先日の県知事選挙にも投票ができましたしね。

 

私は施設での面会の際、個室ではなく皆さんが居るホールにて行い、他の方との会話を心がけていますが、まぁ全く会話が成り立ちません。

 

牛乳を口の周りに付けたままでずっと前を見据えているお婆さんも突っ伏したままのお婆さんもそして母親も・・・母親の事を思えば優に想像できます・・・。

みなさんそれぞれの人生を歩んでここまできたということはゆるぎない事実です。

この症状を発したのはおそらく「ここ数年」のことでしょうがそれまでは日々忙しく働き、悲喜こもごもの家庭生活を送ってきたことが想像できます。

 

このアルツハイマーの症状と歩行困難、前後不覚の躰はおそらく本人すら自覚がないのでしょうが、この方たちにもうら若き青春時代が、また胸を張って町中をのし歩いていた時代があったということも確かな事。

 

母親の事を考えれば本当に「ついこの間の事」のように感じます。その分私も齢を重ねたのですが、そこで毎度のことですが私の御長寿「長生き」思考は「健康あってのもの」であってそれ以外はあり得ないと。

 

しかし、もしや「同じ道」を歩むということも思い浮かんでくるのです。どうなるかなどわかりはしませんからね。

自分の「死に方」というものも頭の中に入れてせめて健康志向だけは維持しなくてはなりません。

「ピンピンころり」がイイなどと皆さん異口同音に口にしますが、私の見ている現実は上記の通りですから、すがるような思いで今「カレー食」を勧めています。

 

母の昨日の昼は「とろろそば」でした。それを見て「献立にカレーはあるの?」と聞けば「時々甘口カレーが出る」とのこと。

 

母は七夕の短冊に「おしるこが食べたい」と記していましたが

それを受けて白玉しるこを出してもらったようです。

ターメリックはアルツハイマー症の緩和にも予防にも効果があるそうですので、しるこでも何でもぶち込んで食べさせていただきたいものですが・・・自分の母親だけそのように仕向けることはできませんので難しいところです。

 

あの場には母はじめいろいろな方々がおわしますが皆仏。

私に「生き方と死に方」を教えてくれます。

自然と「なむあみだぶつ」が出てきます。

ひとまずは「宿縁」を慶びましょう。

 

画像はすべて真宗本廟―東本願寺。

「たまたま 行信を獲ば 遠く宿縁を慶べ」 

             教行信証「総序」聖典一四九頁

 

この語には親鸞さんのこだわりがあります。

特に正信偈などを見てもわかりますが

「会う→偶(たまたま) 得る→獲る 喜ぶ→慶ぶ」と今私たちが日常的に使用する字とは重みと意味が違ってくるのです。

 

本廟の烏丸通側の堀の何かを狙う彼は私を敵とは思わないようでした。