ことなき こそ第一義 「無事」を喜ぶ 義元生誕500

また大雨の予報。

無事にやりすごしたいものです。

河川近くの低地や急傾斜地にお住まいの方、何事もありませんよう、また各ご配慮を。

 

昨日は法事のあと急きょ母親を連れて県知事選挙の事前投票に。本来の投票日に行くことは事前に母のいる施設に連絡していましたが、予報は雲行きの悪さを伝えていました。

事前投票のできる役場までの距離は本来の投票所の2~3倍はありますが、当日中にやっつけようという意気で車椅子を押しました。

知事選ということでまた現職圧倒的有利と報じられている中、無理に投票に行くこともないとは思いますが、「選挙権」は生きていて尚、ある程度の認識があってこそできる特権中の特権ですからね。

記入する場所に掲示された名前を写し記すだけの仕業ではありますが、母はギリギリ何とか投票ができていました。

 

一方浜岡の叔母の方。

投票用ハガキはこちらに配達されることになっていますので、それを届けに浜岡まで向かいました。叔母は自身歩いて投票所に行くことを主張していましたので。

すると家の中の気温は30℃近い様相で汗だくの躰で叔母は出てきました。エアコンのスイッチを入れて帰宅しましたが、あの様子では「熱中症で倒れるかも・・・」を思いました。

 

齢を重ねると暑さの感覚がなくなってくるのでしょうね。

母も外に出てスグは「寒いね」と言っていました。一瞬上掛けを取りに戻ろうかとは思いましたが「そんなはずはない」と返して歩を進めましたが・・・。

年配者の「体感」というものがいかに不正確か、熱中症と水分欠乏による心臓と脳の血管障害の発生メカニズムを知り得た気になりました。

 

除夜の鐘を深夜に衝く慣例を変更しお昼に衝いたことに関して拙寺としてはあの父の代でのクレームがその発端であることは事実ですがもはやそのようなことはどうでもイイというところ。

ところが世の人の圧倒的多数はその時間で衝くことこそ日本の文化であると強く主張しています。

私はその「文化」というものの中に生かされていることを自負し一般のみな様以上にそれを感じて喜んでいる身ではありますが、その身であっても「ち―が―う―だろお・・・」的御指摘。しょうがないっす・・・。

 

話が飛びますがあの議員女史殿の口から発せられたその語もまたあの「忖度」に引き続き流行語大賞の候補に躍り出た感。

さすがにその直前に発せられた語「この―ハゲ―!!!」とその類の罵声イロイロは・・・ムリでしょうが。

 

それにしても秘書さんの「被害届」とやら、まだですかね。

「検討」をひけらかしてイイ条件を引き出しているのでしょうか。まぁそれは1億円以上(+α・・・もしかして比例区名簿上位の約束などなど)の価値がありましょうね。

それを出すか出さないかではある関係者にとっては雲泥の差ですから。

「結局カネ目当てだった」とそのお騒がせを一部揶揄する「後ろ指」を指されるかも知れませんね。まぁその気配濃厚かも・・・

事なきを得るということでお得意の尻尾切りで収まりそう。

 

人の人生というものは、やはり何事もないことが一番。

いつもと同じ変わらない一日に幸せを感じるところですがそれを「無事」と一言でいいますね。

 

さて、拙寺過去帳から法名の傾向を見廻していくと「平」と「清」の使用が目立ちます。昔から「平穏無事と清栄」への希望が記されていたワケで。

 

画像は藤枝蓮花寺池公園奥の郷土博物館ホールにかかるスクリーン。

臨済寺大方丈に安置されている今川義元像(左)と氏輝木像。

注釈書によれば義元の像はもともと菩提寺の天澤寺にあったそうですが、江戸末期にその寺が廃寺となって臨済寺に参ったようです。氏輝像はそもそも臨済寺の開基であるということから、その像を近年になって作って並べたとのこと。

二つの像のバック、軸の文字が「無事」ですね。

 

あってはならぬことなれどあることもゆめゆめ忘れるべからず・・・。

さぁ何ができるか今川義元生誕五百年(1519年生まれ)。

駿府のセンス如何。