晨朝勤行 西本願寺→→東本願寺 ハシゴお朝事

拙寺11月11日の報恩講日中の「法話」といっては何ですが、今年は死というものに付随する遺言について「面白く」語って頂こうと「公証役場」からご担当を招いてお話を伺おうという算段であることはどこかで記していました。

 

先般どこかであった事案について記しますね。

子供がいない夫婦でご主人が(遺言なしで)亡くなって奥さんが独りだけになった場合。すると遺産相続は・・・まず大抵の方が「奥さん総取り」でOK、と思われるでしょう。

ところがこの場合、むしろ特に遺言の効果を期待しなくてはならないケースなのです。公証役場に行って遺言手続きをしなかったことを後悔するハメになるでしょう。

 

要は他からの「主張」がありうるということ。

権利者がその件は当初は「どうでもいい」と思っていても「資産家」であったりすれば、まず周囲は黙っていませんね。

背中を押して「それでは・・・」という具合に手を挙げるということです。

 

その他の「権利者」とは・・・夫の父母や祖父母、もしくは、妻と夫の兄弟姉妹そして亡くなっていれば甥や姪までも。強烈に頭数が増えるという事です。

法定の分割は妻2/3で夫父母が1/3(1/6ずつ)、兄弟たちが相手となると妻3/4で残りの1/4が兄弟たちで分割となります。

 

これらのお相手がまっとうな方たちならマシですが、「遺産分割協議」という席を設けなくてなりませんので、それらに応じてもらえない、あるいは痴呆などで法律的決定ができないなどの理由があるともっともっと面倒な事になりますね。「遺産分割協議」によってハンコが集まった段階で凍結された口座に手を付けることができますし遺産の処分へと進むのです。

 

先日詐欺罪で捕まった方はご主人の遺言がなく、その「はかり知れない面倒」を知っていた方だったのですがご主人の母親には主人には多額の借金が存在することを伝えて「相続放棄」をさせていたといいます。ウラ技とは思いますが、所詮出るところに出て調べればすべて判明すること。かえってみっともないことにになってしまいました。「生きているうちにやることをやっとけ(公証役場で遺言)」ということでした。

 

当流は「後生の一大事」を旨としますが、お浄土に行った当人はいいが「後のことは勝手にどうぞ」ではうまくないですね。

 

さて、ブログにてどちらかでも記していますが、今年の本山へのお参りは「晨朝(じんじょう)=お朝事へ行こう」でした。

ホテルは京都駅前ということですが、これは本山にも近いということ。お参りは気軽です。

しかし私の企画は「西と東の両方、聞き比べ」というものでした。まぁ初日にくたくたに疲れてその二日目の早朝のことですから、まずは誰も手を挙げる人はいないだろうと思っていました。勿論「参加自由」です。

誰もいなければ「2度寝でも」と思いきや5時40分集合のロビーには7名が集まって感激。

 

まずは6時開始の西本願寺へ。

まず阿弥陀堂に入堂すると「ほうっ」と驚きました。

椅子席でした。参加者も私服がかなり。上に黒衣を羽織る一団も見受けましたが大半は一般人の様。カメラ片手にパチパチやっているのも驚きです。お東では警備員が飛んできますからね。

お勤めは超スローの嘆仏偈(讃仏偈)で意表を衝かれました。

お勤め終了後は案内があって場所を御影堂に変えます。ぞろぞろと皆さんのあとに続きますが、こちらもすべて椅子。

正信偈でしたがお西の正信偈を久々に耳にしました。節がお東とはまったく違って変なクセが付きそうで発声せず。それよりもあまりにもエンターテイメントな感覚で終始キョロキョロしていました。

 

6時50分にお西を出て東本願寺への到着は少々の遅刻となりました(7時00から)。

御影堂に入るとお東の晨朝のみに参加してくださった方々の顔も見えてついうれしくなってしまいました。

おつとめはお馴染みの節の正信偈でしたがご一緒した檀家さんによれば早すぎてついていけないとかなりの不評。「どっ早」と。おそらく阿弥陀堂では阿弥陀経が拝読されたのでしょうが、そちらはもっと早く感じますね。

 

ン十年前の事を思い出しましたが昔から「こんな感じ」で早読みに関しては「そういうもの」と思っていましたが「西を見て東」(当然に時間の順序はそうなります)となると違いは歴然。

今風に言えば明らかに「西のうまさ」が光っていました。

ということでお東の堂内は参加者もまばらで黒衣が多いというところ。

 

イイ悪いを評することはできませんが・・・

 

お東の読経の発声は荘厳系、堂の空間を生かした自然な音の響きを味わうといった感じです。私は嫌いではありませんが・・・

堂内照明はお内陣が暗く外陣が比較的明るくなっています。

そして基本的に畳の上に直に座ることになります。

 

お西はそのまったく逆。読経前に喚鐘が打ち鳴らされて雰囲気も盛り上がったところに照明は外陣が暗く、あたかも劇場を思わせるような効果があります。読経発声も比較的大きく聞き取りやすいですね。

素人目に見たら100-ゼロでお西の勝ちでしょうが、これは楽に参加しもらい「見せる」「聞かす」ことに傾注していることが窺えました。

 

どちらかというとお上品で正攻法なお西に対して野暮ながら斬新、時に過激というのがお東というイメージだったのですが、今のお東の晨朝は「昔と変わらない」ところを実感しました。

本来の主旨は違いますが本当にオープンな寺を標榜するのであればお西のやり方を真似てもっと変わってもイイかもしれません。お西の晨朝はまさに「ショータイム」。そういう意味からすればアレは外国からの観光客にはおすすめですね。見せますねぇ。参加はタダですし。5時起きの京都も面白いですよ。

 

ただし「西」から「東」への移動が辛いですね。

堂を抜け出すタイミングも・・・

 

上記最後の画像2枚はお東の御影堂ですが限りないデカさを感じます。画面に納めきれないくらいです。

左画像はお東からタクシーでホテルに帰る檀家さん。

「タクシーを止めて」の声に「スグそこじゃん!!」とつい返してしまいましたが年配者にとっては片道でも辛いとのこと。

まだまだ人の気持ちになっていない「わかっちゃいない」私があります。

またビュッフェ形式の朝食の際、ご一緒した比較的若い女性の檀家さんに向かって、トレーの上を見ながら「ガッツリいきますねぇ」とつい言ってしまったことも後悔の一つでした。